20130328

デュシャンのおもしろい話とネルソンのおもしろくない話


ロンドンはこのところ雪がちらつき、皆春はどこいったの!と嘆いています…。かくいう私も、日本の桜の写真をみて、ここにいると考えられない春の日差しを遠い目をしながら待っています。

serpentine gallery Fischli/Weiss  Rock on Top of Another Rock  8 March 2013 - 6 March 2014

前回まではシリーズで物語の構造について、3度続けて書いてきたのですが、今回はそれについて発展させて考えていければと思います。
タイトルはデュシャンのおもしろい話とネルソンのおもしろくない話。
Barbican Centreで行われたデュシャンの展示と、Matt's Galleryで行われたネルソンの展示を比較したいと思います。

London City Universityは、「Barbican Centre(バービカンセンター、Centreはイギリス英語 Centerと同じ意味)」というかなり大きな芸術複合施設を持っています。展覧会会場だけでなくシアターやコンサートホールも完備していて、カフェレストランは安くておいしく、木曜日は夜10時まで開いています。ご飯を食べる約束ついでに展覧会も見れるのでなかなか優秀なところです。以前は石上純也さんの展示や、雨の中を歩くとセンサーで感知して雨粒が人をよける作品なdが展示されていました。
今回のデュシャン展はDancing around Duchampというタイトルで、ビジュアルアートだけでなく音楽、ダンス、演劇、映画とコラボレーションさせるというものでした。(冒頭の映像がとてもいいです)

ビジュアルアートの部分は交友があったジョンケージ、クリス・カンニガム、ラウシェンバーグ、ジャスパージョーンズが紹介されていました。
2年前、ヘイワードギャラリーでジョンケージ展にて、ケージの講義の録音を聞いたことがあったのですが、そこではまず「自分はデュシャンから最も大きな影響を受けた」と語られていて、この関連性には納得のいくものでした。また、私が訪れた際は運よく会場でコンサートが開かれていて、ケージの「Ryoanji(龍安寺)」が演奏されていました。(現在ガゴシアンギャラリーではラウシェンバーグの作品が展示されています。)
「現代アートの父」とも言われ、現在も多くのアーティストに影響を与えてるデュシャン。
私の経験からいっても、現代アートの講義でも最初に教えられる作品は「泉」でした。
しかし、今まで「デュシャン展」に幾度か足を運んだり、常設展にあるデュシャンを何度も見てきたのですが、彼の作品はビジュアル的にそんなに面白くない、というのが私の意見です。
見飽きたというのも一因として考えられるし、コンテクストが複雑すぎるというのも考えられますが、今回、その要因について考えて見たいとおもいます。
バービカンの映像でもいわれていたように、デュシャンはそれまでの伝統を破り新しさを作った人です。バービカンの展示では、「artとlife」の折衷というようなセクションがあったり、彼が生み出したハイブリッドさについて語られています。
彼の作品はそれまでのアートの文脈や社会に呼応するように作られ、天才だったが故に理論も複雑で難解です。大ガラスのメモなどは未だに解明されていないとも聞いたこともあります。

文脈がしっかりしていて、独自の理論がある、そして謎が多い。
デュシャンの作品の傾向は要約するとこんな感じなのではないでしょうか。
そして、この条件が揃うと何ができるか。
答えは、論文が書きたくなる……………です。
そこで、私が割とストンと納得できたのは、デュシャンはバービカンが提示したような諸ジャンルにも影響を与え、近くなっただけではなく、アカデミズムにも近いということです。
文脈化して、書籍を出し、積み上げていくのは今でもアカデミズムが担っています。
美術史もアカデミズムなのだから、デュシャンが重要視されるのはごく自然なことです。
だから、デュシャンはアカデミズムにとって、「おもしろい話」となるのです。

ここで、少し気分を変えてネルソンの話をしたいと思います。
タイトルで「おもしろくない」と切り捨ててしまったのですが、ここまで来るとその意図を分かっていただけると思いますが、いかがでしょう。
例えば、ネルソンの経歴を省略するために、第54回ベネチアビエンナーレの感想ブログをリンクします。彼の作品への感想は最後に「単に視覚的効果のみの雰囲気重視のパビリオンに終わってしまっていた。」と締めくくっています。
彼はイギリス出身のアーティストでインスタレーションを主に制作します。そして、彼の作品は保存されないもの(サイトスペシフィック)なものがほとんどを占めます。イギリスのアートの最高峰ターナー賞を2001年に受賞。tate britainには彼の迷路の作品「The Coral Reef」が常設されています。

彼の作品を要約すると、「得も言われぬような、おどろおどろしい」という文章に尽きると思います。
今回の展示のコンセプトも、今までの彼の展示を総括して、「存在すること」を主眼に置きながら「存在と不在」を混ぜ合わせる、というような何とも曖昧なものでした。

さて、このような作品をいかにしてアカデミズムの文脈付けることができるのでしょうか。
彼の作品は、何を言ってもなんとなく的外れな、「それは個人の見解による」、「証拠不足」などと却下され、挙句100年ほど後に「当時の社会状況と呼応した」などと言われそうな作品です。
すなわち、アカデミズム的に「おもしろくない」作品なのです。
そして、それは同時に何を意味するか。
「言葉で説明すればするほど面白くなくなる」、「百聞は一見に如かずです」と言いたくなる、そういう結論です。

多くの哲学者が指摘するように、私たちは見ているものを正確に言葉で言い表すことは不可能です。言語コミュニケーションは、代替えのテクニックです。
それを、言語に落とし「学問」という形式を作り出し、文脈をつける努力を、人間は古くから行ってきました。
これもよく言われることですが、「歴史」は「書かれたもの」の積み重ねです。

しかし、分類をできないけどなにか気になるから残っているもの(オーパーツ)、徒労だと言われながらも有名なもの(フィンガネス・ウェイクなど)どうしても年代で分類することしかできなかったもの(エゴン・シーレなど)はたしかに存在します。そうして、今の現代アートの多くは、こうした物語をつけにくい、(アカデミズム的に)「おもしろくない」状況にあります。


アカデミズムとアートの密接な関わり。当たり前の前提として私たちはそれを知っていますが、再考してみるとたしかに!!!!となることが多いのではないでしょうか。
そして、そういったものからはみ出てしまうものを「おもしろくない」と切り捨てることはできるのでしょうか。アカデミズムや歴史への接近は、作家側から積極的に行うべきものなのでしょうか。それとも、無視をしていいのでしょうか。または、アカデミズムの担ってきた役割をマーケットが乗っ取ろうとしているのでしょうか。
実際ブログに投稿する際も、ネルソンのような作家には難しさを感じます。
けれど、私はこれについて独自の見解があるのですが、それについてはまた機会があれば書こうと思います。
今日はこれまで。また私をどこかで見つけたら、みなさんの意見を聞かせて下さい。

おわり。

参考url
haywardのjohn cage
http://www.gramophone.co.uk/features/gallery/john-cage-exhibition-opens-at-hayward-gallery

gagosian ラウシェンバーグ
http://www.gagosian.com/exhibitions/robert-rauschenberg--february-16-2013

Matt's gallery
http://www.mattsgallery.org/
ネルソンと同時開催のスーザンヒラーもおすすめです

20130319

垂直、平行、または円 物語の拡がり③


A Bigger Splash: Painting after Performance(Tate Modern,11/14-4/1)

前々回から、展評を交えながら主題の設定、物語の作り方について考察を行ってきました。
三部作の最終章です。
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平行型の物語と垂直型の物語、それぞれに面白さや深みがある両者ですが、
線を描いみてもわかるように、両者は平行または垂直の地平を持って拡張し続けます。
しかし、ネガティブな見方をすると、その物語は縦横に広がっていくだけで、
次のステップへの目覚めは鑑賞者に委ねるしかありません。
それではどうすればいいのか。
答えは円型の物語です。

円型の物語とは、その名の通り、一つのトピックについて
完結した物語を作るということです。
例えば、99年から2000年に以降する時、世界各国でパニックが起こりました。
細かく見ると様々なバリエーションがあり、それぞれ違った問題が起こったはずですが、
それを「00年パニック」と包括してしまえば、円型の物語が完成します。

円型が垂直型や平行型と異なるところは、まず物語のラベルに着目させるということかもしれません。

美術史では、モダニズム期の歴史は直線的に語るべきではない、と言われることがあります。
様々なグループ(ダダ、未来派など)が乱立した時期は互いにそれらが影響し合ったのだから、と。

(写真はTate Modernの壁です)

寄り道はこれくらいにして、Tate Modernで行われた展示を見ながら、
そういったことについて考えていければと思います。

A Bigger Splashはイギリスを代表する作家、デビットホックニーの作品のタイトル/言葉から来ています。

副題はPainting after Performanceで、イントロダクションでは、1950年以降の
「パフォーマンスとペインティングの関連性」を探求し、
「パフォーマンスがいかに現代のペインティングの可能性を拡張したか」を探ると書かれています。
こんなタイトルをつけられるとまず思い浮かぶポロックが、
ホックニーの作品との対比と共に始まり、
次の部屋では今や世界の定番となった具体とイヴクライン。
ウイーンアクティビズム、ブラジルのオイティシカ、草間弥生などアジアのアーティスト、
1970年代から始まった「変身」系の作品と続きます。
以降はアーティスト個人に焦点を当て、
Edward Krasinski,Marc Camille Chaimowicz,

Joan Jonas,Guy de Ciuntet,Karen Kilmnik,

IRWIN,Jutta Koether, EiArakawa(実験工房)、Lucy McKenzie

が展示されています。

感想としては、最初の流れを追うパートはパフォーマンスが先行し、
ペインティングの定義が拡張、消滅していく様子が丁寧に追われていたのですが、
個人に焦点を当て始めると、最初の主題がブレてきているような気がしました。
スペースが膨大すぎる割に物語が簡単にまとまってしまったのかなという印象です。

しかし、そのメインの物語より、特筆すべきはキャプションの書き方でした。
一般的に作品名またはアーティスト名が先に書かれますが、
今回のこの展示では、先に国名が書かれていたのです。
作家の選択からも分かるように、作品は世界中から集められ、
それは、「パフォマンスとペインティングの関連性の追求」が
「世界共通のアートの主題である」という前提でキュレーションされていました。

キャプションの初めに国名をつける。
そういった小さなことでも、世界的な視野を持ってキュレーションされたことが示唆できる。
小さな工夫で主題の核心を見せる技術には感服しました。

そして、この包括的な視野。
これは円型の物語です。

円型の物語の構造に話を戻しましょう。
包括する、客観的な視点で完結した一つの物語を作るとどうなるか。
それは、その物語と共に、その物語が立っている地点を示すことができます。
その物語が出現するまではバラバラだった作品が、一つの作品群になり、
一つの作品だけを見たら分かりにくかった、その作品が担う時代性や役割を
束ねることによってクリアにするのです。

そうするとどうなるのか。
まず、その物語の理解を推進することができます。
これは垂直、平行の物語と同じです。
そして、その物語を仮にでも「完」をつけることによって、
次のステップを開きます。

これが、円型の物語の持つ大きな特性です。
今自分が記憶喪失になったとすると、
自分のアイデンティティが分からず、自分の名前から探すことになるでしょう。
人間の記憶は曖昧で、時に自分の過去に疑問を持つことがありますが、
展覧会の場合は違う。
展覧会が終わっても、カタログとなり、一つの過去の仮説は保存されます。
他人が作ったものであっても、それを仮に自分が吸収したものとして
その次を探すことができる。

そして、円型の物語はキュレーションが最も作り易い物語でもあります。
ただ文脈を作るということではなく、完結した一を作る。

しかし、円型の物語は作ればそこで解決するものでしょうか。
それも納得のいく回答ではありません。
私は、円型の物語は他の円と共鳴してこそ価値が出てくるものだと思います。
美術史を直線に語るのはいかがなものか、という問題提起にも繋がるように、
円型の物語は時に接近し、時に離れることでより完結した円に近付いていくような気がします。
イメージとしてそれは、シャボン玉に似ています。


ドクメンタは、小さな垂直の物語を集め、一つの円型の物語を作りました。
ドクメンタが開催している間、各国のギャラリーでは出展作家の展示が多く行われ、
カタログや手軽なアーティストを紹介するリーフレットは様々な国で販売されています。

ドクメンタという大きな円はその後5年間のアートの指針を示すと言われています。
しかし、考えてみれば、「その後5年間のアートの指針を示す」との了解が、
ドクメンタを影響力のあるものに仕立てている気がします。
ほとんどの展示は、鑑賞者に影響を与えても
他の円に影響を与えることはないのですから。


以上、物語の構造について思ったことを三回に分けて書いてみました。
あくまでベーシックな意見ですが、こののちも展示の感想と合わせて
考察を深めていければと思います。

それでは、また近日中に。

20130318

垂直、平行、または円 物語の拡がり②



予想していたより早く更新できるようになりました。
最近は会田誠展が話題になっていますね。
性と暴力の表現のボーダーライン。
先日私が訪れたwithecube bermondseyではEddie Peakeがパフォーマンスを行っていました。
ロンドン動物園をイメージしたという囲い状の建物の中に服を着ていない男女が
生演奏に合わせて楽しそうに踊ったりくっついていたりしていました。
サイトには彼のパフォーマンスがあると載っていないので、
何も知らずに出くわした私は本当にびっくりして
よくも悪くも露呈する表現に対する認識のギャップを感じました。
Eddie Peakeのインタビュー映像。
TATEが制作しています。

余談はここまでで、本題に入りたいと思います。
今回取り上げるのはCarroll/Fletcherで行われたNatascha Sadr Haghighian。
Natascha Sadr Haghighianはベルリンを拠点に活動するアーティストで、ドクメンタにも参加していました。

まず最初にこの展示の感想を一言でまとめると、「難解」。
投稿のため随分リサーチを行いましたが、未だに彼女の取り上げた問題を消化しきれていないような気がしてなりません。
彼女は2011年にはBarcelona Museum of Contemporary Art(MACBA)で大規模な個展も行いました。
友人曰くその展示は素晴らしく、今回の展示もそのイメージなしには見ることができなかったと言います。

しかし、彼女の経歴の多くは謎に包まれたままです。
試しにCarroll/Fletcherで、彼女の経歴のページを見てみましょう。
そこには彼女のプロフィールは”www.bioswop.net”にて見ることができると書かれています。
そのサイトは彼女が2004年に「アート関係者がプロフィールを埋めるために、各々の経歴を交換し借りる」目的のために設立されたものという説明もされています。
bioswopでは更に詳しい情報を得ることができました。
簡単にまとめると彼女がそのサイトの役割として望んでいることは
「市場の交換価値を構成している」要素としての履歴書の価値を下げる」ことにあると分かりました。

このサイトのインフォメーションを見ただけでも推察できるように、彼女の主題は
社会における大きな権威やしきたりに疑問を投げかけ、問い続けることなのです。
もちろんその中には排他的で特権的なアート業界も含まれます。


展示の最初は部屋はこの作品から始まりました。
旅行用のキャスター付きトランクの持ち手がロンドンで見慣れたBoxtonというミネナルウォーターのペットボトルの上に乗っています。
トランクの中には電動機が入っており、一定のスピードでペットボトルを潰すのです。
そのすぐ側にはマイクが設置されており、潰される音が拡張されその作品の他に何もない響きます。
一目見ただけで何かの寓意と分かるその作品の詳細は、次の部屋へと続くのです。

その部屋にはいくつかのロンドンにおける「Boxton」受容に関する作品が"resurch display"とされ、展示されていました。
まずは飛行機がどこからどこへ飛ぶのか、その軌跡が書かれた地図です。それは1992年にEUの航空産業規約解除が如何なるインパクトを与えたのかを見てとることができます。
次にBoxtonの所有権についての会議合意書、そして遺影のように設置された公共の冷水機で水を飲む人たちの写真。

最後に床には20本の中に水滴があるBoxtonのペットボトルが20本置かれています。
この作品群はde Pasoと名付けられMACBAでの個展のタイトルにもなった、彼女の最近の活動を代表するような作品です。
綿密なリサーチに基づいて表現された展示。ペットボトルが潰される音はそれらの調査結果全てを凝縮し、隣のこの部屋にまで響いてきます。


地上階最後の部屋にあったのはunternehmen:Bermuda(2000)です。

これは彼女がArs Viva Awardの審査員にお願いして、その審議場所を道路の三角地帯にあるバス停へと変更したのです。
その三角地帯は病院、自然博物館、美術館をそれぞれの頂点に持つ場所で、彼女はアートと科学の衝突地点であり限界地点を示すためにその場を選んだと説明されています。
そこで当惑する審査員と楽しそうにプレゼンを行うアーティスト。
その模様は秘密裏に撮影され、作品となりました。

ドクメンタで展示されていた作品は、傾斜に第二次世界大戦のかれきを集め階段を作り、
録音された世界各国の言葉で動物の鳴き声をまねる音声が流れていました。
最後ははしごを登り、ドクメンタの会場を出ることができます。


示唆的で暗示的な作品。
Ai WeiWeiと同じように「社会派」として知られる彼女ですが、問題への寄り添い方は違っています。
彼女の作品は、もしキャプションが先にあれば、それをまず読んでしまったと思います。
ギャラリーでは入った瞬間にBoxtonを潰すスーツケースの作品があったので、
まずビジュアルを見て興味をそそられましたが、そうでなければ難しいキャプションを読むことに
疲れてしまったかもしれません。

ドクメンタでも同じようなことが起こりました。
一つ一つの作品が難解すぎて、カタログを手放すことができなかったのです。
(もちろんJanet Cardiff & George Bures Millerのサウンドインスタレーションなど
理論がわからなくても楽しめるものはありました。)

しかし、「難解」という価値判断が個人的なものからもわかるように、
この難解さは提示された問題からの距離によって生じるものなのではないかと考えました。
Haghighianは日本で知られたアーティストではないと思います。
それは、日本から彼女の提示する問題が遠すぎ、またヨーロッパにフォーカスしすぎているからです。
それが悪いわけではありません。
世界にアーティストはたくさんいるし、それ以上に取り上げられる問題はたくさんあります。
私たちは今、問題の表面をなぞり分かった気になるけど、
一つのペットボトルだけでも大きな問題があって、失われた歴史があるということを
Haghghianは教えてくれるのです。

やはり、アートは欧米で長らく発達してきたものです。
だから、ヨーロッパで、ヨーロッパの問題を深く掘り下げるアーティストもたくさんいて、
彼らの需要は多くあります。
しかし、日本でそれらの作品を紹介しようと思えば、
まず皆の興味をそそらず、その上膨大なテキストを必要とするために、
面倒なことになってしまうのは分かり切ったことです。

その点、前回のブログで取り上げた「平行な物語」モデルは取り上げやすい。
だから、日本では「平行な物語」が優勢で、人気を博しているのだと思います。

それと比べ、Haghghianは「垂直な物語」モデルです。
世界を転覆させることはできないかもしれないけど、小さなところから、
そしてそれを根本から見直そうという姿勢を感じます。
毎日退屈さを感じていたとしても、世界の細部はこんなにも複雑に絡み合っている。
その複雑さをもっと複雑にして、もっとおもしろくしたい。

Haghghianの日本語でのインフォメーションの少なさと
こちらでの人気の反比例は、私が日本とこちらのアートの需要の違いの面白さを感じた
一つのきっかけとなりました。


ロンドンは今日も曇り空です。
また、近いうちに更新します。

20130314

垂直、平行、または円 物語の拡がり①


現在地はロンドンです。
日本は暑いと聞いたのですが、こちらは毎日雪が降っています。
新しい法王が決まったようですね。
こちらはそのニュースで持ち切りです。

さて、つまらないことは最後に書くとして、
今回は主題の設定について考えてみたいと思います

参考にするのは、次の3つのアーティスト/展示です。
垂直型:Natascha Sadr Haghighian(Carroll/Fletcher,7/20-9/22)
平行型:Ai Wei Wei(Lissonなど)
円型:A Bigger Splash: Painting after Performance(Tate Modern,11/14-4/1)
まず、本題に入る前にこの問題を考えた動機を少し。
もうずいぶん前のことのように感じますが、先日総裁が変わる選挙がありました。
私にとって初めての選挙となり、連日主にネット(ツイッター、fb)から情報収集を行いました。
最もよく目にしたものは「震災後初の選挙で、日本を変えなければならない」というものです。
簡単に言うとそれは「選挙に行こう」、「既存の政治を考えなおそう」という風潮でした。
しかし、蓋を開けてみると自民が圧勝で投票率は低い。
もちろん私の見ていた情報に偏りがあったことも考えられるのですが、
これだけ個人が情報を発信し、それが重要視されるようになったのに
社会への実際的な影響力のなさに少し驚きました。
まだまだネットで可視化されていない人達が社会を動かしていて
こちらは少数派なのかもしれない、それが私の持った率直な感想です。

話は変わって、ジョルジュ・プーレというベルギー人の批評家がいます。
彼の詳細については省略しますが、彼が『円環の変貌』という著作の中で
人類の思考は捉え方が変わっていくだけで結局一つのコンパス(円)しか使っていない 
というようなことを言っていました。
古くは、円は神の象徴だったそうです。
円には終りもなければ始まりもなく、完全な形であり、また完璧な円は自然界に存在しない。
プーレはその「円」が神の象徴だったものから人間がそれを自分たちの象徴とするまでを論述していきます。
まあ、そうだね、と。
今でも人間は絶対的なものや、世界の中心を目指します。
億万長者や不老不死、それは人類の普遍的なテーマのような気がします。

たしかに、リオタールの「大きな物語の終焉」(1979)、
すなわち「もうみんなで共有できる価値とか、夢はない!」という言葉は説得力があります。
趣味は多様化するし、それが理解されなくてもネットで共有できる。
しかし、一概にそれを受け入れてもいいのかという疑問が、選挙やプーレから紡ぎ出されました。

前置きが長くなりましたが、ここから本題に入ります。
これらの動機から、今回は物語の構造とその共有について、大胆にも3つのタイプに分類し、考察できたらと思います。
そして、折角こちらにいて上質な展示を見る機会が多くあるのでついでに展覧会評も行っていこうと思っています。

まず、馴染みの深い作家、Ai Weiweiから。
アーティストの影響力をランク付けするpower100で1位に選ばれたAi WeiWei。
反社会的な作風で知られる、中国を代表する作家。
北京オリンピックの時スタジアムの設計などを依頼されるものの、
当局に拘束され、世界的な注目を浴びる。
去年の夏はAi WeiWeiを見ないことがなかったほど、ヨーロッパでは人気者でした。
ドイツの大学で教鞭をとることが決まったことも影響したのでしょう。
ロンドンのTATE Modernのエントランスに設置された、
一面を陶器でできたヒマワリの種で埋め尽くす作品は常設に移動され、

Lisson GalleryではNever Sorry、また壁にはストリートアーティストによる落書き。

Sarpentineギャラリーの野外での大型展示。

オスロの現代美術館でも紹介され、ベルリンでも展示。
日本ではここまで騒動になる前に森美術館で紹介されていましたね。

かつての日本がそうであったように、いまや中国は最も注目すべき国となりつつあります。
独特の政治形態、人口の多さ、ビジネスチャンス。
文化の近い日本人から見ても驚くようなニュースがたくさん舞い込んでくる中、
(偽緑化ではげ山をペンキで緑に塗ったニュースは衝撃を受けました)
ヨーロッパから見た中国は未知の場所。
しかし、中国資本の台頭によって、ロンドンでは中国語しか書かれていない商業ポスターがバスの側面になったり、地下鉄にあったりします。


じわりじわりと近づいてくる中国。
その現実を切り取り、批判し、体当たりするAi WeiWei。
「中国が大変なことになっている」のは分かっているけど、「具体的にはよくわからない」。しかし、ヨーロッパにとって中国が「脅威となっている」ことは実感している。
「知りたいのに知れない。」その葛藤を見事にアートという切り口で、反社会的という、ヨーロッパが「見たい視点から」、翻訳してくれたのがAi WeiWeiなような気がします。
今彼は、アーティストというかアクティビストであるという印象を受けますが、
物的な作品もしっかり作っていて、展示はいつも見ごたえがあります。

けれど、いつも彼の展示を見て思うのは、「あくまでこれは一つの見方である」ということです。
何の事柄についても、幾通りの見方があるし、客観的な視点は必要です。
ただ、Ai WeiWeiの場合、なぜか作品に魅了されてしまう前に、若干冷めた視線を持たざるを得ないのは、彼があまりにも「他言語に翻訳されすぎている」という面があるからです。
逮捕騒動など彼の生き様そのものが中国におけるアーティストを体現しているとは思います。ただ果たしてここまで翻訳されてしまった彼の主題はアクチュアルな問題を捉えているのか、ニュース報道のように外からの目線で目につく問題を提示しているだけではないのか。
そういった考えが脳裏をよぎるからです。

例えば、最近日本で映画、「レ・ミゼラブル」の大ヒットがありました。
NHKで映画評論家の人がインタビューされていたのですが、彼は
最近洋画が日本で受け入れられにくかった傾向があり、驚いている と話していました。
NHKはその結果の分析として、ミュージカル映画は普通先に音を取って、それを映像にあとから合わせる方式を取るが、レ・ミゼラブルは役者に歌いながら演技をさせることで、「感情移入をしやすい仕組み」を作ったことが功を奏したのではないか、と言っていました。

その仕組みについては関係ないのですが、その「洋画が日本で受け入れられにくい」ということ。
特にハリウッド映画は日本で人気を博した長い歴史があります。
しかし、近年は旅行が容易になって、文化に対する物珍しさがない。
絵になる風景は付加価値とならない。
そうなると、より深く複雑なコンテクストへの共感が鍵となります。
深く複雑なコンテクストを洋画に求めると、根っこが違うハリウッド文化には共鳴しにくい。
そこにその要望に邦画が答える。そうなると洋画離れはしかるべくして起こったのではないかと思います。

このことからも分かるように、広く受け入れられるものは広く翻訳されやすい仕組みがある。アジアやアフリカのアーティストがよく使う戦法だと思います。
しかし、洋画離れの例から分かるように、それは表面をなぞるようなもので、とっつきやすく、ポップなものにしなければならない。
いわば、遠くにまで浸透させるように、「横に伸びる平行な線」を使い、物語を作るのです。

その根の深さを伝えるのは、次の段階の話で、Ai WeiWeiに限って言うと、彼が一人でできる仕事ではないかもしれないし、彼の死後、振り返ってみてその深さに気づくことができるのもしれない。

大きな物語はもうないかもしれない、でもそれを作り出し、社会を変える。
彼にはそういった力を感じます。
「平行型」の物語には、人を巻き込み、心の片隅に留めておく効果があるからです。
「コンテンポラリーアートとは、何らかの形ではなく、社会における哲学である。」
彼のこの言葉に、その姿勢が現れているような気がしました。


いくら気合いを入れても、結局時間がなくブログを更新できないということがわかりました。この続きがいつになるかわかりませんが、できるだけ早く更新できたらと思います。

20120827

Nancy Holt at Haunch Of Venison



半分勉強、半分避暑の目的で訪れたロンドンですがしばらく25℃を超える暑い日が続きました。
今はロンドンを去り、また空の上で文章を書いています。
次の目的地はスカンジナビア半島、ノルウェーです。

ロンドンではセントマーチンズの短期コースでみっちり勉強してきました。
その中でロンドンのアートシーンについて有意義な学びと、素敵な出会いがありました。それはまた追々。

さて、8日間のみの滞在でしたが今回は20くらいのギャラリーを巡ることができました。
前回の投稿で宣言した通り、少しずつレビューを行いたいと思います。
twitterでも少しずつ紹介をしましたが、時間のある時に少しずつまとまった文章を書き溜めます。




―まずはHaunch Of VenisonのNancy Holtから。
Haunch Of Venisonはクリスティーズから多くの支援を受けて運営されているギャラリーです。 ロンドンだけでなくニューヨークにもスペースを持っています。
ロンドンのHaunch Of Venisonは二つあり、今回紹介する大きなスペースの方は、ロンドン最大のショッピング街であるBond StreetとOxford Streetのすぐ近くにあります。
天井が高く日光が差し込み、気持ちのよい2階建てのスペースです。地下にはブックショップもあります。



去年の冬私が訪れた際は「THE MYSTERY OF APPEARANCE」と題された、戦後重要な役割を担った10人のイギリス人ペインターの展覧会がありました。



ベーコンやルーシャンフロイド、ハミルトンやホックニーなど癖のある”扱いにくい”ビックネームばかりを集めた展示でした。しかし、彼らの人間関係に着目し各々の作品に現れる影響関係を提示したキュレーションは、彼らの切り開いた新しい地平線を見事に伝えるものでした。
いいスペースとマスターピースの作品(中には初展示のものもあったそうです)+緻密なリサーチに基づいたキュレーション。大変感銘を受けたことを覚えています。



今回の展示はNancy Holt。
1960-1970年代に盛況したランド・アートにおいてビデオやフィルムを使った表現のパイオニアとして知られるアメリカ人作家です。
(こちらではかなり名前の通るアーティストです)
「Photoworks」と題され彼女の写真ばかりを集めたこの展示は、彼女にとってロンドンでの初個展となりました。

ランドアートと聞いて誰が思い浮かぶでしょうか?
彼女の夫でもあるロバートスミッソン、

20世紀最も美しい写真とも言われた作品を撮ったヴォルター・デ・マリア、

パリのモニュメンタで素晴らしい展示を行ったリチャード・セラ。


しかしこれらの名前を見た時、彼らについて作風の関連性以外で大きな共通点に気づくはずです。
彼らは皆、男性であると。

1960-1970年代。ちょうど「ウーマン・リブ」の運動が始まった頃です。
この活動の中では社会的な差別だけでなく、ステレオタイプなイメージに潜む性差別など日常的な部分にも言及し、後に大きな影響をもたらしました。
その運動が盛んにだったことからも分かるように、当時のアメリカやヨーロッパでは女性の社会進出が盛んとは言えなかった時代です。
特に「男性的」なイズムが強調されたランド・アートにおいてNancy Holtは唯一の女性作家だったことは特筆することができるでしょう。

たしかに彼女の作品は深く自然と関係を持ちながらもセラやロングのような大規模な設置作業はせず、小さな変化を見つけることから作品作りが始まっているような印象を受けました。


また「Photoworks」というタイトルからも分かるように、それらの写真はプロジェクトの記録ではなく写真それ自体を見せようとする試みのようにも見えるのです。
(この視点についてはカナ大先生:通称未熟ちゃんに重要な鑑賞ポイントのアドバイスをいただきました ありがとう!)
それを実証するかのように、光と影の織りなす動きを撮ったまるでドローイングのような作品:Light and Shadow Photo-Drawings(1978)が展示されていました。

そして経路を順にたどっていく最後の2階の展示室では西洋のお墓を写したパネル群が展示されています。
「死」のイメージを感じされるその作品は、例え大規模なプロジェクトをしなくとも同じように被写体の持つ力強さを表現する彼女の特質を伺うことができました。


2012年のロンドンオリンピックでは史上初めて、全競技に女性が参加できるようになったことが話題になりました。 (会期に間に合わず見ることができませんでしたが、ガゴシアンはブランクシーとウォーホールのオリンピック特集でした)


「女性は勉強ができなくてもいいから、家事をしなければいけない」、そういう価値観はもう珍しくなりました。
その現在の価値観でNancy Holtを再検討してみると、彼女が「ランドアーティスト」という以外にも当時の雰囲気を体現していたこと、それにやっと人々は気づくことができるのだ、ということが理解できたのです。
そして、それを如実に示すことができるのは彼女の写真作品であることは間違いないでしょう。
今回もHaunch Of Venisonのディレクションチームはよい仕事をしてくれていました。

ちなみに次の展示は2007年のターナー賞にノミネートされたNATHAN COLEYへと続くそうです。これも面白そうですね。


それではまた近日中に更新できるように頑張ります・・・。

20120818

Letters from London





夏になり、私の現在地は雲の上です。
そろそろまとまった量の軽い文章を書こうと常に思いながら、有思不実行な日々が続いていましたw
せっかく時間が出てきたので、このチャンスを逃さず更新します。
8月18日、親友の誕生日でもあるこの日から1カ月旅に出ることにしました。
最初の目的地はオリンピックの興奮冷めやらぬ、第二のホームタウンロンドンです。

気づけば、私の好きな花が咲き誇った季節は早々に過ぎ去りました。
その花はクロタネソウというハーブの一種で、年長の犬が若かった頃、庭に出るたびよく食べていましたものです。
彼女の体にとってそれは有害だったのか、それとも健康を増進したのか、それはよくわかりません。
ただクロタネソウは彼女の好物でした。





英語名は「love in a mist」。
花を愛に見立てるとすればそれを取り巻く葉から、たしかにその感覚も理解できます。
しかしすぐ枯れるというこの花の特質は、例え霧に紛れてしまっても愛はすぐ解放されるということを暗示しているのでしょうか。それとも一緒に枯れてしまうということなのか。
なにはともあれ、この花はすぐに枯れるものの、すぐ種を宿し翌年一人でに芽を出すのです。
愛の霧は力強く、また迷宮を量産します。
複雑な造形の葉に絡みとられてしまった運命が、今年は一つでも多くちゃんと一人立ちしてほしいものです。

最近はモーリス・ブランショの研究をしています。
彼は文学界屈指の迷宮メーカーです。
イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンがペンネーム、ルイス・キャロルを名乗り執筆したのがかの有名な『不思議の国のアリス』。



(画像は1915 WWヤング監督作)


主人公アリスは白うさぎを追って穴に落ち、そこから不思議な国へ舞い込んでしまいます。
しかし、私に言わせてみれば、「不思議の国」は生易しいものではなく、腑に落ちない矛盾や不条理、非常識の蔓延する腹立たしい世界です。
一般的な「アリスはファンタジーの国に迷い込んだ」という認識は受難のアリスにとってあまりにも不憫なもののようにも感じます。
数学の成績が常に著しく芳しくなく、数字の羅列を見るだけで頭痛をもよおした私にとって、「不思議の国」はあまりにも数字の不条理さが反映されているように思えたからです。
"1+1=2"であること(異論もあるそうです)、それは1が1であるという暗黙の了解と見えぬものへの信頼によって成り立ちます。
しかし、本当に1という概念は自律して存在できるのか。そもそも1とは何なのか。1を1と何の疑いもなく受け入れていいものなのか。
それを考え始めると、数学が気に食わない者にとってますます不条理に映るのです。
そう、アリスはそんな「地盤のない世界」に迷いこんでしまったのではないかと、私は同情をしたものでした。

モーリス・ブランショの『アミダナブ』は時に「大人のための『不思議の国のアリス』」と称されます。
主人公トマはアリスと同様、矛盾と不条理にまみれた世界に迷い混んでしまいます。
しかし、アリスとは異なり、主人公トマは上へ上へと自ら登り続け、最後はアリスのような安心安泰の報われる終わりを迎えることはできません。
それが「大人のための」と若干敬遠されるような前置きを置かれてしまう理由でもあるのです。
終始緊張感が漂いスリリングな展開を持つものの、一貫性のある完結した物語を求める読者には不向きとも言えるでしょう。
ブランショ自身、カフカを好んで論じ影響を受けた作家です。
「不条理」というイメージが板についたカフカの影響があるのなら、「あの感じ」が反映された小説と言えば雰囲気は伝が伝えられるかもしれません。

もちろん、今の私たちの生きる世界も一言で言えば不条理で、迷宮的です。
人間の意志で世界は動かしているにも関わらず、突然万人が望んでいる訳ではない戦争や暴動は起こり、恐慌も発生します。
人間の手ではどうにもならない天災の問題もあるでしょう。
どこまで何を信じていいのか、その境界線を引くのか引かないのか。
懐疑の目で世界を見つめると、「地盤のない世界」が姿を現します。





ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えた時から「近代」は芽生えた。大地が動くなら、それを操作する「技術」が必要になり、動く地球を共同で運行しなければならない。これが同時代人に課された運命だ

と寺山修司はドイツ社会主義学生連盟の学生に語られたと言います。しかし、寺山は言うのです。「私は『天動説』にも反対だが『地動説』にもまた反対だ」と。
「人動説」。これが彼の唱えた論理です。
  
天も地も静止している。それを「動いている」と科学した学者の地平線感覚が問題なのだ。万物は静止している。しかし、あらゆる思想は逆転する。眼に見えず数字によっても、把握されずとわれわれの感覚の中に不可避に記録されている無限レースの中に、万物の偶然性を「動かす」論理がある。

ドラマツルギーを徹底的に研究した彼の言葉は、少しばかり演劇的でしょうか。それでも考えるべき論点はそこではないことは、指摘せずとも自明なことでしょう。

クロタネソウはすぐに散ってしまう花でも、種を豊富に育てることができ、花を咲かせ続けることができるのです。「散ってもまた立ちあがれ」、そんな根性論を唱えたい訳ではありません。
クロタネソウが持つもう一つ別の英名を記しておきましょう。
「devil in a bush」、茂みの中の悪魔。





―物事の解決は、一筋縄ではいかない。
問に対する答えが一つとも限らない。
「鳥より高く飛べるのは想像力だけだ。」
人生の教訓はそれに限るとも思います。
異文化のプラットフォームとなるイギリス、そこでいつも私はそのことを実感するのです。


*
最近、日本語で情報が得やすいアーティストは「注目の若手か大御所のみ」で「中堅作家」の情報が非常に乏しいことに気づきました。だからこの滞在中、行われている展覧会や作家をブログにて、できるだけ多く紹介し日本語化できたらと思います。頑張って更新します…!

**
道に2010年から続けていたプロジェクトが遂に公開に至りました。
Contemporary art studiesです。
興味があればぜひ。

20111013

vision

久しぶりの投稿です。言葉を紡ぐ気になれず、日々淡々と言葉にするまでもないことをぼつぼつと考えていました。

震災から早半年。それぞれの人にとって見えてきたものは何だったのでしょうか。
率直な感想を言うと私には
「未来への展望が早急に必要である」、
それ以上も以下のことも見えこなかったのではないかと思います。
これは政治や国家としてのレベルだけではなく、個々人のレベルでも同様です。


先日昨今の転機となった3つの出来事という興味深い議論をしました。
1つは911。
アメリカの支配体制における一種の限界の象徴。
2つめはリーマンショック。
金融資本主義体制の限界の象徴。
3つめは311。
近代社会における科学が自然を自由に操れるという人類の思い込みの限界の象徴。

こうして「限界」、言い換えると「どうにかしなければならない」という現実ばかりを見てきましたが、さて私たちはどうすればいいのでしょうか。
先日、森美術館の「メタボリズムと現代」展を見てきました。
それについての感想はさておき、最も印象に残っているのは最後の部屋に設けられた資料室の中で見た
「2030 東京未来のシナリオ」でした。
豪雨(最悪)のシナリオから小雨→雨天→青空のシナリオまで続きます。
豪雨のシナリオでは東京は廃墟化し、青空のシナリオではバーチャルリアリティーとグローバル化が進んだ最先端のテクノロジーによって構成される街となっていました。
しかしこれはこの不安定な時期に作られたという背景からなのか私の性なのか、最悪のシナリオも最高のシナリオも、どの結末で2030年に至ったとしても東京に住みたくないな、と思ってしまったのです。
なぜかというと、どれも「未来技術がいかに取りいれられているか否か」が重要でまた中心であり、それによって人の幸せが後からついてくるもののように見えたからです。
いかにその未来の技術を上手く取り入れたとしても、私たちは技術によって取り囲まれた存在であり、それはそれはとても空虚なことのように思えました。
それはまさに実質・実態の伴わない数字上だけで取引されているお金に取り囲まれている今の私たちの生活のようにも見えます。

ただ本当に一つだけ、忘れてはならないことはあると思います。
それはこの「終末観」は今だけ特別にあったという訳ではないということです。
今最も忘れられてしまっていることはこのことだとも思うのです。
言うまでもなくヨーロッパ中世のゴシック建築に見られる終末観からの救済を求めたあの精神性はよい例です。
先月は丸々ヨーロッパに滞在していましたが、イギリスのどこに行ってもゴシック建築ばかりでした。

写真はエジンバラです。

キャピタルを求める姿勢、また「人間はいつか生まれたら死にゆく」という言葉の通り終わりに向かうというのは自然の摂理で、それをどう捉えるかはその時代性が出る顕著な例だとしても、今この終末観を「仕方がない」と片づけてしまうことが一番残念なことではないでしょうか。

ついこの前ツイッターの名言botから「人は生まれる時代を選べません。生まれる国も親も身体も。すべて受け入れて生まれるしかない。時代が悪い、社会が国が悪いと言ってるだけでは何も変わらない。まず、すべてを受け入れること。その上で自分に何ができるかを考え、ひたすらそれをやること。そこからしか何も始まりません。(中森明夫)」というフレーズを見つけたのですが、それは本当にその通りです。

そこで前置きが長々となってしまいましたが、私なりに自分が最近思っていることを含め控えめながら提言を行ってみたいと思います。
小さい頃は働くとか、社会とかそれこそ何も知らず、今となってもそれはよく分かりません。


周りに会社勤めの人が少なかったことも影響していると思うのですが、
私にとってバイトをするだとか周りの人を見るとか、そういったことでしか実感として学びとる機会がありませんでした。
しかし、たしかに働いてる人を見ているとどん些細な仕事でも社会を動かしていることがよくわかります。
つい先日岸井成格氏のお話を聞く機会に恵まれました。
その中で実感したことは彼はいままで積み上げてきた彼の経験とから彼が自分が社会でどの位置にいて、何ができて何が専門かをしっかりわきまえたことを前提にお話し、行動しているということでした。
だからこそ彼の話には重みも説得力もありました。
きっと未来への展望は私たちの世代が作り上げていくより、彼のような経験を積み上げてきた人たちが作っていく方がよほどしっかりしたものができると思います。
その彼が私たちに期待しているのはなぜか。
「若い力」、「未来がある」、それで済ませてしまえば簡単ですが
「これから自分をどのポジションに置いて社会を動かしていこうとするのか」
その可能性に期待されているのではないのかというのが私の感じ取ったことでした。

いずれは社会に出て、社会を動かしていくのでしょうが、そのポジション、役割というのは何も決められたところである必要はないのです。
それも野暮に新しい会社を作る、という意味でなく。広い意味で。

昔とても印象に残っている言葉の中にhiromuさんと言う方の
「そのジジイの話によると、歴史っていうのは一人のリーダーや偉人が変えるんじゃなくて、同時期にたまたま現れる多様な才能の出会いと繋がりで初めて動くそうで、そういう人たちと自然に出会いに恵まれて、そういう人たちに自然と影響を与えられる人こそが「歴史を動かす人」らしいですよ。」
というものがあります。
まさに多様な才能が多様なポジションで動いている中でそれが繋がった時に本当に具体的なビジョンというものは生まれてくるのだろうと。
結局何が正解か分からないっていう前に正解なんてないと自分では思っています。だから型にはまったやり方、型にはまっていないやり方、どの道を選んだからといって責められる必要はないとも。アートはそれが顕著に現れてくるんのもだから好きなのですが。もし無理いじして正解を求めるとすれば、それは自分で折り合いつけながら決めていくことでしょう。またその正解という”判決”を下せる概念すら後世を生きる人が決めるのです。

だからこそ、色んな可能性があって、色んなポジションを作れる想像力があるのが私たちの「今」なのだと思います。
「未来への展望を。」という前にいくつかの段階があって、今私たちができることは「未来に必要そうな役割を見つけていくこと、またそれを作ること、それに向かっていくこと」なのではないのでしょうか。

それが私の一つの最近の実感でもあり、同時に提言でもあります。

知らぬ間にだらだらと長く書き続けてしまいました。また気が向いたら何か書こうと思います。何か感想があればツイッターにでもコメントにでも書いていただけると幸いです。いただいたコメントには目を通していますし、基本ここでいただいた感想についてはできるだけ文章でなく直接その返事はお話したいと思っています。


それではまた、いつか。


Anna Kato
October 13th

20110528

何がアートを阻むのか

お久しぶりです。
しばらくブログの更新を滞らせてしまっていました。
何かを書くということは元来とても好きで、レポート課題はサクサクと進む方なのですが、
自発的に何かを発信するというのは難しいもので、
書きたい気分の時に書き溜めしきってしまったら、しばらくインプット期間に入ってしまいます。
しっかり活動して休憩、とまるでクマの冬眠のようですが。




さて最後の更新が誕生日の3月30日、それ以前以後震災も含め、
個人的なアクティビティとして特筆できそうなことが多くあったので、
それもまた近々まとめようと思います。
一番の変化は早稲田大学に入学したということかもしれないですが。
かくいう今は、アートフェア香港に向かうべく羽田です。
きっとこれを書きあげる頃にはもうあちらに到着しているのでしょう。
それはさておき、こうやって国内外を行ったりきたりしている頃、
特にこの春休みにイギリスにいて感じていたことが今になってやっと、
文字にする気が起こってきたので、それについて今日は書こうと思います。

お題は、「何がアートの成長を阻むのか」。
リーマンショック、ニュージーランドでの地震、エジプト革命、中東情勢不安、リビアの軍事介入、震災、原発事故、アイウェイウェイ拘束、ビンラディン殺害。
適当に思い浮かんだ大ニュースを挙げてみましたが、近年歴史が変わるような事件の多くを私たちは共有しました。
サラ・ソーントン著、「現代アートの舞台裏」を読んだ時、これほどまでにアート界はバブリーなのかと驚きましたが、
それはもう昔の話。リーマンショック以後では情勢が変わってしまったという話をよく聞くようになりました。
ヨーロッパ、特にイギリスでは予算の大規模削減にもちろん文化も含まれ、博物・美術館の入場料の無料に疑問を呈す議論が議会でされていることをTVで見ました。
フランスは予算削減こそしなかった(文化予算を増加させるという話もあります)けれど、やはり手厚いアーティストの失業・再教育手当は要検討中とのこと。
財源がなくなり、アートに支障を来たす(新人が育たない、美術館に来場者が減るetc)または発展が阻まれるという反発は容易に想像でき、また実際行われました。
けれど財源削減、アートに向かうお金が少なくなることはアートにとって、一番の障害なのでしょうか?
私はその意見には違和感を覚えます。

よく言われることですが、アートは非言語コミュニケーション、言葉を共有しなくとも伝わるものがある。
それは一理ありますが、今となればそれはアートの神話のような気がします。
「科学は国境を越える。そこに言語や文法は存在せず、存在するのは数式だけだ。(略)世界を変えるのは科学技術だと信じている。」
きちんと覚えていませんが、これはある科学誌に載っていた言葉です。
これを読んだ瞬間、アートはそれに勝てないと純粋に思ってしまいました。
そもそも作者・観者のコミュニケーションの為にアートはあるのではないと。


けれど、アートは国境を越えます。
一つの作品はそれぞれの文化と共鳴して、また違う解釈を起こさせることができる。
新国際国立美術館(大阪)でしていた「風穴 もうひとつのコンセプチュアル展」ではその西洋主義をあざ笑うかのように
アジアの作家の有名コンセプチュアルの模倣作品が展示されていましたが、いつもいつもそれは劣等感や違和感を抱かれるように受容されるものじゃない。
もちろんマザッチョ、ピカソ、セザンヌ、デュシャン、ウォーホールetcを知らずして現代アートなんて理解できない!という意見はごもっともですが、
そういう正当路線のアート鑑賞者から離れる鑑賞者(美術なんか何も興味がないのに、
たまたま美術館に入ってしまって、頭がこんがらがってしまった人とか)の感想を弾圧するべきではないと思う。
またアートはマテリアルとして存在すること、マテリアルが前面に押し出された状態で展示されることは
大仰な思想や実際に適応される前の言語で説明された難しい科学技術に比べ、優位なところ。
そして国境を越えたアートがその国々で需要され、たまにエスニックなカウンターがメインストリームに入れられる。
それがまた影響され、実践され、アートは発展する。
たくさんの面白い作家がどんどん出てきて、中堅がよいものを創り続け、大御所が安定感とパワーのある作品でアートをひっぱり続ける。
たまに美術史に社会を、思想を、科学、私情を巻き込みながら。
それこそがアートの面白味でもあり、最大の成長要因はないでしょうか。



それを考えた時、一体アートの成長を支えてるものは何か。
それは強そうで脆い、「世界交通」ではないかという結論に至りました。
日本の原発事故後、美術館に作品がこなくなり、展示会が開催できないというニュースを聞きました。
また不安定な中東情勢はこれからアートに力を入れていこうとしていたドバイのことが思いやられます。

同様に、多様性が重視される時代、中国アートの盛り上がりにより西洋中心のアートメインストリームが変わりつつある現代において、
多様性は何によって保障されているかと言えば、結局それはインターネットと世界交通です。
「お金で交通インフラは解決されるから、結局文化予算の削減が悪だ。」そういう意見もあるかもしれませんが、
交通インフラは世界の調和と有効的合意によって成立するものです。
お金に焦点を当てるなら、文化予算というより、国家予算という大きな枠組みで考えなければなりません。

そもそも、科学の発展も日進月歩で進んであるのはもちろんですが、戦時中は戦争ばかりにお金が当てられ軍事関連科学しか発展しない、
もっと言うと有能な若い科学者の卵たちが戦士として戦場に送り込まれ、命を落とすということを見逃すわけにはいきません。
それはきっとアート然りでしょう。

「アーティストになりたいなら、美術館に行け、新聞を読め、本を読め、知識をつけろと僕は言う」と有名なアニメーターの方が前ツイートしていたのが
RTで回ってきたのですが、その通りなのです。
アートにしろ、科学にしろ、ある分野はある分野の崇高な領域をもつようで、それは幻想。
「平和で安全な社会」というものが保障されてこそ、成り立っているもの。
そう考えると、おのずと最近のニュースは目を曇らせるようなことばかりに見えてくると思います。

文化は常に、高度に社会が発展・安定してこそ、文化とみなされるものが多い。
オノヨーコが「軍事業界の結束はとても強い(けれど文化はそこまでではない)」というのはそれを象徴するかのようで。

だからこれからは少しずつ、アート以外のことも発信できていければいいなと思っています。
アートは一元的にイズムとして発展してきたのに、いつの間にはそれは実際直線的発展にシフトした。
どちらがいいとかではなく、アートの特徴である他分野の吸収性が今は裏目に出て、
また非常に脆い形態で発展しているということを実感してしまった以上、
避けられない道であるとは思います。

一生芸術やりましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー




以上が香港に行く前に執筆したものです。
ただ、今回の香港アートフェアで少しこの文章と違った角度でものを見ることができました。
アートフェアというお金、マーケットが先行する形でのアートワールド。
それはそれでまた、アートの真理です。
お金はアートにとって第一信条でなくとも、
切っても切れない間柄にある、
そしてお金のアートに占める重要度は日本で感じれる以上に大きい。

そのことはまた追々、まとめようと思います。

それでは今回はこのへんで。

20110330

たんじょうび

少し前に帰国しました。




本当に美しいものって、見てて心にあまりに突き刺さるから、
痛いんですよね。
桜の季節はまだでしょうか。
誕生日は3月末の今日です。
桜というよりも桃の花の時期に生まれました。
近所に桜並木があるんです。
それは小学校のとなりでした。
中学に入学した日は友達と帰り道、その桜道に行って、
自分たちの晴れの日の清々しい気分と
やっと少し大人に近づけた実感を祝福したものです。


大人になるって何なんでしょうね。
こんな風に言っている間は多分大人じゃないのは分かってます。
でも、成人式があり、職につき、次第に社会の一員として動き出して、
気づけば何も知らない無知な子供達の笑顔を見て
ハッと我に返るような、
何かをなくしたような気になる日が来るのでしょうか。

今回、地震が起こった時はイギリスにいました。
テレビで朝、ニュースを見た時は嘘だと思った。
私が小学校の頃から、30年以内に和歌山には
「東南海地震がくるよ」って言われ続けたもので。


情報錯綜の嵐と、残酷すぎる現実のせいで
しばらく実感がありませんでした。
実は、今でも地震の実感なんて何もないです。
地震にも遭ってない、停電にも遭ってない、
ただ帰国が延びただけでした。

でも、こういう大きな出来事ってそれこそ
イニシエーション的な役割を果たすと思う。
日本にとって大きな変わり目というよりは
一人一人を違う次元に引き上げるような
この出来事を経験した現在を生きる全世代は
1つの共同体を形成することになるのだと思う
この苦しみは、これから生まれてくる人とは
共有できないのだろうなと。

"何かを伝える"ことは常に、
共通の経験がある方が
伝達を容易にする。
それは言葉であり、感性であり、空気であり、
空間であり、時間である。







いまのわたしには何がみえてるのでしょうね。
輝く未来か、歪んだ過去か、頼りない現在か。

今日で、19年生きました。
色々な出会いと別れがあり、希望と夢があり。
誕生日って、複雑な気持ちになるから
あまり得意でないです。
でも、一日だけ魔法がかかったみたいに
みんなにこにこしてくれて、
おめでとうって言ってくれてメールとか
メッセージがたくさん来て。
とてもしあわせな日だということは知ってます。
1週間前、23日は親友の誕生日で、
Oxfordから手紙を送ったのですが、
私の誕生日の今日に着いたようです。
こんな不思議な偶然が、
たくさん重なった日でした。

みんなありがとう

20110226

the perspective

こんにちは。
今日はベルリン-11℃。寒すぎて外に出る気も失せたのですが、せっかくなので学校終了後、
美術館に行ってきました。
ベルリンには世界遺産でもある「博物館島」という地域があって、そこに美術・博物館、教会が密集しています。

私はゴシック建築が好きなので、この辺りの一番のお気に入りはベルリン大聖堂なのですが、今日は博物館島の中にある「 Neues Museum」(新美術館)に行ってきました。
新美術館には主に古代エジプトの品々が多く収蔵されています。特筆すべきはその建築で、第二次世界大戦で廃墟となった建物をイギリス人の建築家、フリードリッヒ・アウグスト・シュテューラーが300億円ほどかけて修復したそうです。しかもその修復方法は、「元あった場所は生かしつつ欠けたところは近代のデザインによって埋める」という方式。だから室内は古く赴きのある空間とモダンなデザインが組み合わされた不思議な空間に仕上がっていました。(写真は玄関。床、天井はモダン、壁はアンティーク) たしかにお金や組み合わせの能力はかかる方法ですが、建物の保存には最適な方法。早稲田の歴史の深い文学部キャンパスが壊され、改築されるとのことで最近建物の保管について少しアンテナを張っていたのですが、こんな形で出会えるとは思いませんでした。それにしても、すごい大胆かつ斬新な方法ですね。過去と未来が共存するベルリンならではで、とてもこの建物を気に入りました。

けれど、建物のこと以上に考えさせられたのは、その展示方法です。
一言で言うと、とても「上手い」。
今まで展示が上手いと思ったのは韓国リウム美術館の陶磁器のコーナーとゲント現代美術館(pl:ブログ記事『忘却に対する抵抗』)だったのですが、今回は規模が違います。何でもそうなのですが、小さければ小さいスペース程展示がしやすい。だから大きな場所で展示しようとすると、どこかしら「微妙」なところが発生しますが、ここは隅々まで気を抜いていなかった。
10€の入場料は決して安くないですが、その10€分の気合いは十二分に見ることができました。


そもそも博物館というものはイギリスやドイツの「驚異の部屋(Kunstkammer)」と呼ばれるものからその歴史は始まります。
大航海時代に得てきた珍しいものたちを貴族が買い取り、展示した。
そんな部屋がありました。
(これが一番分かりやすかったです)
ちなみに冒頭にある、
ミュゼオロジーとは世界編集のシステムだ。だから無謀な世界理解の闘いとして始まる。まず,世界に共感すること,そしてそれを再編成する。根底にはアートとは何か? という自問をつねに残しながら。
という文章にとても心惹かれたと共に、これを読んでから少し真剣に美術・博物館の勉強をしていました。
(今はもうやめましたw)

けれど、美術館の歴史、美術館の公共性。
その影に隠れてしまって博物館というものに注目が集まりにくいのが現状です。
なぜなら、人を呼べる美術館=企画名品展ですが、博物館は常設展勝負。
しかも展示品も古いものばかりで面白みに欠けるものが多い。
だからどうやって工夫していいかも分からない。

そんな認識を覆してくれたのがこの博物館でした。まず、物を陳列するのではなく、こうして3次元的空間にて展示する。また、元あったものは元あったもののように展示する。だから建物から取ってきた壁などはこうして再現して展示。私たちは建物の中にいるかのような体験ができます。外から見ると何が何だかよく分かりませんが。

昨日は旧ナショナルギャラリーというところに行きました。そこはフリードリヒ3世が「コレクションを市民が誰でも見れるように」設立された博物館です。今で言う個人美術館が公共化したもの、というようなところでしょうか。大部分の伝統あるヨーロッパの博物館、美術館はそういった主旨で設立されたものが多いと思います。
日本でも「市民が美術や芸術に親しみを持てるように」設立されたものが多いのではいでしょうか。
けれど、この新博物館に私が感動した理由は、その時代は「終わった」ということを強く自覚していたことでした。
世代別に分けて、陳列する。
権力の誇示、市民に向かって「見せてあげてる」、古いものはすごいという意識を持たすだけならそれで十分です。
また、高いとろろに展示してあったものを博物館の中で低い場所に展示することによってコードを変える、
そんな意義もあったかもしれません。
でも今はインターネットで調べればそのイメージも簡単に出てくるし、実際に目で見るよりも
正確な情報(何でできていて、誰が何の為に作ったか)も無料で手に入れることができる。
だからこそ、今博物館にできることは体験的再現的展示だということであり、コードの書き換えはあまり意味を持たない。
これは地球の環境保全にも似たような考え方だなあ、とも思いましたが。

とにかく、空間的なものは来てみないと分からない(これは展示会にも言えることですが)。そして空間を使うことによってより、その物のパワーや昔の人がそれをどう見ていたかを伝えることが可能になる。また、面白かったのは「出土状況の再現」的展示があったことです。昔のものを昔のままではなく、「今から見つめた昔」の視点も積極的に取り入れていた。
二次元的空間から三次元的空間へ。過去を保存するのではなく、現在から過去へ繋がるパースペクティブを。
それが本当に見事でした。
様々な諸事情が考えられますが、大英博物館は物はいいけど、展示は至って普通です。
この博物館を訪れてからは、それが勿体ないなあととても感じます。

余談ですが、ヨーロッパの博物館は「人類の叡智」っていうすごい大義名目があって充実もしてるし、教育的な面でもとても上質だけど、同時にその物にはアウラ云々よりも「略奪と権力誇示の歴史」が宿って、そのいわゆる裏と表の歴史を包括してるから面白いですね。
でも、この博物館程頑張って展示していたら、そんなことも忘れそうですw

今日から2泊3日でアムステルダムへ。
またベルリンに戻ってくるのですが、アムステルダムでどんなものに出会えて、どんな経験ができるのか。
とても楽しみです。
(しかもアムスは暖かいらしい… ベルリンの-11℃から逃れられるだけで幸せ…)

それでは、また。
最後に写真を載せておきます