20110226

the perspective

こんにちは。
今日はベルリン-11℃。寒すぎて外に出る気も失せたのですが、せっかくなので学校終了後、
美術館に行ってきました。
ベルリンには世界遺産でもある「博物館島」という地域があって、そこに美術・博物館、教会が密集しています。

私はゴシック建築が好きなので、この辺りの一番のお気に入りはベルリン大聖堂なのですが、今日は博物館島の中にある「 Neues Museum」(新美術館)に行ってきました。
新美術館には主に古代エジプトの品々が多く収蔵されています。特筆すべきはその建築で、第二次世界大戦で廃墟となった建物をイギリス人の建築家、フリードリッヒ・アウグスト・シュテューラーが300億円ほどかけて修復したそうです。しかもその修復方法は、「元あった場所は生かしつつ欠けたところは近代のデザインによって埋める」という方式。だから室内は古く赴きのある空間とモダンなデザインが組み合わされた不思議な空間に仕上がっていました。(写真は玄関。床、天井はモダン、壁はアンティーク) たしかにお金や組み合わせの能力はかかる方法ですが、建物の保存には最適な方法。早稲田の歴史の深い文学部キャンパスが壊され、改築されるとのことで最近建物の保管について少しアンテナを張っていたのですが、こんな形で出会えるとは思いませんでした。それにしても、すごい大胆かつ斬新な方法ですね。過去と未来が共存するベルリンならではで、とてもこの建物を気に入りました。

けれど、建物のこと以上に考えさせられたのは、その展示方法です。
一言で言うと、とても「上手い」。
今まで展示が上手いと思ったのは韓国リウム美術館の陶磁器のコーナーとゲント現代美術館(pl:ブログ記事『忘却に対する抵抗』)だったのですが、今回は規模が違います。何でもそうなのですが、小さければ小さいスペース程展示がしやすい。だから大きな場所で展示しようとすると、どこかしら「微妙」なところが発生しますが、ここは隅々まで気を抜いていなかった。
10€の入場料は決して安くないですが、その10€分の気合いは十二分に見ることができました。


そもそも博物館というものはイギリスやドイツの「驚異の部屋(Kunstkammer)」と呼ばれるものからその歴史は始まります。
大航海時代に得てきた珍しいものたちを貴族が買い取り、展示した。
そんな部屋がありました。
(これが一番分かりやすかったです)
ちなみに冒頭にある、
ミュゼオロジーとは世界編集のシステムだ。だから無謀な世界理解の闘いとして始まる。まず,世界に共感すること,そしてそれを再編成する。根底にはアートとは何か? という自問をつねに残しながら。
という文章にとても心惹かれたと共に、これを読んでから少し真剣に美術・博物館の勉強をしていました。
(今はもうやめましたw)

けれど、美術館の歴史、美術館の公共性。
その影に隠れてしまって博物館というものに注目が集まりにくいのが現状です。
なぜなら、人を呼べる美術館=企画名品展ですが、博物館は常設展勝負。
しかも展示品も古いものばかりで面白みに欠けるものが多い。
だからどうやって工夫していいかも分からない。

そんな認識を覆してくれたのがこの博物館でした。まず、物を陳列するのではなく、こうして3次元的空間にて展示する。また、元あったものは元あったもののように展示する。だから建物から取ってきた壁などはこうして再現して展示。私たちは建物の中にいるかのような体験ができます。外から見ると何が何だかよく分かりませんが。

昨日は旧ナショナルギャラリーというところに行きました。そこはフリードリヒ3世が「コレクションを市民が誰でも見れるように」設立された博物館です。今で言う個人美術館が公共化したもの、というようなところでしょうか。大部分の伝統あるヨーロッパの博物館、美術館はそういった主旨で設立されたものが多いと思います。
日本でも「市民が美術や芸術に親しみを持てるように」設立されたものが多いのではいでしょうか。
けれど、この新博物館に私が感動した理由は、その時代は「終わった」ということを強く自覚していたことでした。
世代別に分けて、陳列する。
権力の誇示、市民に向かって「見せてあげてる」、古いものはすごいという意識を持たすだけならそれで十分です。
また、高いとろろに展示してあったものを博物館の中で低い場所に展示することによってコードを変える、
そんな意義もあったかもしれません。
でも今はインターネットで調べればそのイメージも簡単に出てくるし、実際に目で見るよりも
正確な情報(何でできていて、誰が何の為に作ったか)も無料で手に入れることができる。
だからこそ、今博物館にできることは体験的再現的展示だということであり、コードの書き換えはあまり意味を持たない。
これは地球の環境保全にも似たような考え方だなあ、とも思いましたが。

とにかく、空間的なものは来てみないと分からない(これは展示会にも言えることですが)。そして空間を使うことによってより、その物のパワーや昔の人がそれをどう見ていたかを伝えることが可能になる。また、面白かったのは「出土状況の再現」的展示があったことです。昔のものを昔のままではなく、「今から見つめた昔」の視点も積極的に取り入れていた。
二次元的空間から三次元的空間へ。過去を保存するのではなく、現在から過去へ繋がるパースペクティブを。
それが本当に見事でした。
様々な諸事情が考えられますが、大英博物館は物はいいけど、展示は至って普通です。
この博物館を訪れてからは、それが勿体ないなあととても感じます。

余談ですが、ヨーロッパの博物館は「人類の叡智」っていうすごい大義名目があって充実もしてるし、教育的な面でもとても上質だけど、同時にその物にはアウラ云々よりも「略奪と権力誇示の歴史」が宿って、そのいわゆる裏と表の歴史を包括してるから面白いですね。
でも、この博物館程頑張って展示していたら、そんなことも忘れそうですw

今日から2泊3日でアムステルダムへ。
またベルリンに戻ってくるのですが、アムステルダムでどんなものに出会えて、どんな経験ができるのか。
とても楽しみです。
(しかもアムスは暖かいらしい… ベルリンの-11℃から逃れられるだけで幸せ…)

それでは、また。
最後に写真を載せておきます







20110220

ものを見る目について

前の記事が嫌すぎるが故に、新しい記事を書こうと思いますw



そういえば2/18から一人で留学を始め、今日はミュンヘンなうです
今からベルリンに移動します。





そんな今回はこの1年の総復習として、こんな本を読んでいます。
結構現代アートを学び始める地点で必須な本だとは思うのですが、自分の知識の定着を測ろうと思って
あえて今まで読まずにいました。(ツイッターにて村上隆さんもおすすめされていました)
でも印象として、カテゴライズにしくいものが増えたからか、
カテゴライズ自体にも疑問に思うものが多く、日本の小さな動向を海外と同列に並べるから、
不自然な印象を受けがちでしたが、総まとめとしては最適な本でした。


そして再度思ったのはデュシャンの泉でもそうですが、革命的にいきなり何かがポッと出てくる訳でなく、
歴史があって、それをちゃんと踏まえることでイノベーションが生まれるということです。


例えば、ルネサンスもポッと出たわけでなく、「13世紀ルネサンス」という中東諸国で読まれていた
古代ギリシアローマの文献の翻訳本が逆輸入され、広まるというきっかけが事前にあって、
ヨーロッパの人々が古代の思想や様式の偉大さに気づき始め、それが活発となって、ルネサンスが花咲く。
仏教でも鎌倉仏教(親鸞とか有名な人たち)がいきなり覚醒して悟りを開いたのではなく、
平安時代から徐々にそういう傾向が現れ始め、鎌倉で大成される、という歴史がちゃんとあります。


昨日はミュンヘンのピナコテークというところに行きました。
アルテピナコテーク(ルネサンスあたりを扱う)ノイエピナコテーク(近代を扱う)モダンピナコテーク(現代美術)、それとコンテンポラリーアートムジウム(正式名称忘れましたw)。
ルネサンス以降現代までをざっと流れを追った感じですが、やはり何か歴史の繋がりのようなものを感じました。
(今回掲載する写真のほとんどはここで撮影したものです)


その「繋がり」に関連付けて、「想起力」について今日は書こうと思います
想起力はアートにとっては重要な力だと思います。


代表的な「想起」の美学は「石」。
(これは日本の須弥山石)
ヨーロッパでは中世に「絵のある石」に代表される石の模様が独自の「造形的均衡」を持つものを風景に見立て絵画的に楽しむという流行がありました。
当時芸術に大きな影響を与えたダンテの『神曲』などを石に人物などを加筆し、一つの作品として仕上がっています。
「絵のある石の系譜学」というものも密かに存在するのですが、言わずもがなこれがあのキュビズムにも繋がる無名ながらも重要な要素となるものなのです。
日本でも江戸時代の天明期あたりに1つの形から何かの姿を読みとる「見立て」というものも流行っています。



文献などはまだ読んでいませんが、私から見て、一番この「想起力、『何かが何かに見える力』」が働いているのはシュルレアリスムとコンセプチュアルかなあ、とも思うのですが。(マグリットのこれとか特に)


けれど、この「想起力」は作る側だけでなく、鑑賞者の側から見ても重要な視点だと思います。
なぜならこの「想起力」はものを見れば見る程養われるもの、すなわち自分がどれだけアートにコミットできているか、
「見る目」がついているのかついていないのか、を測る重要な指針の一つになり得るからです。


分かりやすく超飛躍した例を挙げると、随分前にクリムト(1862-1918)の「接吻」を初めてみた時、「いい!」と思いました(愚直すぎますがww)


それで「これはアールヌーボーだよ」とか言われても分からないので、「ふーん」としか言えませんでした。
けれど、彼の装飾性(単純にきらびやかだな、とかカラフルだな)とかを他の絵画と比較することで感じれるようになりました。
そしてその次に今度はシーレと似てるな、とか同時代の作家と自然に結び付けられるようになりました。
(後々、クリムトとシーレにそこまで類似点を感じなくなりましたが)
今度はキリスト教の宗教美術を見た時、そのきらびやかさがクリムトと重なるようになってきたりしました。



最後にダミアンの蝶の作品、「爆裂」にもイメージが繋がったのです。


これは、本当に私の感性であり何の論理性もありませんw
でもこうやって繋いでいくうちに、もしかしてクリムトもダミアンも宗教美術を多く見てインスピレーションを受けたのかな、とか考えるようになるのです。
これは表層的なイメージの想起ですが、今度はコンセプトなど理論的想起も自然とわきあがってくるようになります。


もちろん、先にも述べましたが私はまだまだ、見る目も想起力も素人ですが、
見れば見る程そのストックは増えるので、作品を見ることが楽しくなりました。
また、クリムトとシーレでもそうですが、始めは同時代とか色とか安直なものでしか繋がらなかったことが、どんどん世代を越えて、
その作家が影響を受けた歴史的な繋がりに目を向けれるようになります。


ここまできたら、作品鑑賞が楽しみだけでなく、「驚き」でいっぱいになるんです。


これは持論の域を越えませんが、「いいもの」を見つけたいのなら比較対象というものは必ず必要になります。
だから、美術館だけでなくレベルの高くないものを見ることは重要となります。
それでこそ、そのストックを踏みつぶすようなきらめき、すなわち「いいもの」を見つけることができるからです。
けれど、「純粋体験」的に「美術鑑賞」をしたいなら(日本で一番多い美術人口だと思うのですが)、名品展やお寺の秘宝巡りをするのがいいと思います。
単純に美しいものに感動するには、ギャラリーや冒険的な企画展に行くよりも名品展ばかり行く方が「純粋体験的ハズレ」はありません。
(また、美術館鑑賞人口第一位なのに作品を買わない、というトリックはここにあると思います)
そして、ロジカル面にもアートを楽しみたいなら、国内外、現古代を問わず美術館を中心に巡るのが一番いいと思います。
私は最近作品を買いたいと思うようになったのでギャラリー巡りと美術館巡りを美術館巡りに重きを置きながら実践していますが、
「買う楽しみ」と「観る楽しみ」はまた違うなあ、と思う日々です。


さて、今回はこのへんで。
まあまあ納得のいく記事が書けましたので、安心してベルリンに向かえますw


それではtschss!(さよならっ!)




文章の無断掲載・転用はお断りしますが、引用や掲載を行いたい場合は、ご連絡下さい。
ご感想もお待ちしております。→(@anna_kaot)

20110214

忘却に対する抵抗



わたしは人一倍、記憶について執着心が強いと思います。
以前から「記憶と忘却」についてはたくさん考察してきました。
記憶は時に自分で書き換えてしまうもので、美化したり、卑下したり。
している最中大変だったことも終わってみれば、いい思い出。
これもしんどい→うれしいへの記憶の書き換え。
「memorize」とはとても流動的な行為。
自分自身で書き換えた記憶は何かしらの無意識が働いてそうしたのだろうし
忘れるということ以上に変わってしまった記憶は忘却でもある。
ありのままを完璧に記憶するのは不可能ということ。
誰かを悼む時も、何か心に残るニュースや、嬉しい、悲しいなど激しい感情を覚えたときはいつもそう思います。

でも昨日もつぶやきましたがよく物事を忘れることは
「即ち、過去に共有できていたものが、リアルタイムで共有できなくなるということ」です。
空気とか触覚、嗅覚的なものは特に。
視覚はスクリーンキャプチャのようにメモライズされていくから、残りやすい。
だから逆に視覚以外に訴え続ける記憶というのは、とても強い印象として残りやすい。
「あの音楽を聴いたら○○を思い出す」「このシャンプー匂いは○○を思い出す」はその典型でしょう。

今回の展示では作品の周りに鏡を張り巡らせるという演出を行いました。(写真では伝わりにくいですが)
これは、どの位置で作品を見ても、人でなく、自分の気配が感じられるという工夫です。
「気配の記憶」 。そんな空間を使って三次元的に観客に働きかける演出ができるのが、展覧会の醍醐味のような気がします。

タイトルにも書いた「忘却に対する抵抗」 は敬愛するキュレーター、ハンルウルリッヒオブリストの言葉です。
たとえば絵画なら、陶芸なら買うことができる。
買って、持って帰ることができる。そうすることによって永久の記憶が保障される。
でも、展覧会は持って帰ることができない。
これが展覧会が立ち向かうべき一番大きな課題です。
だから、絵画にできないことを展示会では積極的にアプローチしていかなければならない。
単純に「感動、共感」だけではゆるい、ということです。
そう考えれば、美術館のギフトショップでポストカードに群がる人々の無意識に起こる購入理由が少し腑に落ちますね。

昨日も記憶についてツイートした時、アートに携わる方から(@denovejapanさま )
アーティストの「アーカイブ」創りが一層重要なのだと思いますよ〜。説明責任Accountabilityなんてのもその内の課題でしょうね。アーティストトークもやれば良いという物ではない。」とのご意見を頂き、一層その重要性を再認識しました。



そこで、まず手始めに、自分のustをアーカイブ、資料を添付してみようと思います。

まず学芸員になるための資格課程などはこちら。
その中で一番実戦的な授業、博物館実習について

とても参考になった展示会の作り方を実戦的に勉強できる本 美術手帖 2008年 02月号
また、言葉に詰まってしまって言えなかったオブリストの「移動型」展示会のタイトルは「cities on the move」でした。
また、オブリストとホウ・ハンルウの対談記事(とても良い)がartitにあるので興味がある方は是非ご覧下さい。
また、オブリストのインタビュー集も良書なのですが、
現在取り扱いがないということ。
しかし、その概要をまとめたサイトがあります(とても良い)
あとは彼へのインタビューに字幕をつけて下さったものがあります。

 

それから、展示会史についてはこの本、 美術手帖 2007年 12月号 一番番ざっくり分かり易く、なおかつキュレーターの仕事についても書いています。追加して、展覧会史となると、やはり一番とっつきやすいのはヴェネチアビエンナーレ、その上日本に特化したものが最近出版されて、展覧会史のイメージがつかむことができるであろう良書が出ています。ヴェネチア・ビエンナーレ―日本参加の40年
個性的なキュレーター、ヤンフートが活躍する美術館
ヤンフートの具体的な活動については椹木さんがARTitの瀬戸内美術館の批評にて、少し触れておられます。
そしてそこで私が見た展示、XANADU!について
ついでに言うと、私がとっても好きなアートセンター

金沢21世紀美術館、現代美術館の成功例
蓑豊氏の著書
金沢21世紀美術館の具体的な経済効果等
関連して、最近は十和田市現代美術館も同じように成功しているようです
でもやっぱり現代アートの美術館といえばLosのMOCA(The Museum Of Contemporary Art)ですよね。
村上隆さんも展覧会を行っています。

リンクばかりで申し訳ないですが、こんな感じでしょうか。
何かしら、知識の足しになれば幸いです。
これからしばらくはこんな感じでキュレーション展のアーカイブ記事を書きます。

よろしくお願いします

20110212

キュレーション展を終えて



お久しぶりです。
ust後、すごいアクセス数が増えて少し戸惑っておりました。
もちろん、アクセス数が増えたことは嬉しいのですが、
基本まとまって文章を書くことは、気が向かないとできません。
よって、とても更新にムラがあります。
ご了承下さい。

まず、今回のキュレーション展のデータを少しまとめました。
今日から少しずつ、これについては書いていこうと思います。
まず、0000さんのHP。
Young Curator Challenge 01 加藤杏奈

まず、キュレーションについての意気込みをtwitterにて呟いたのですが、
それをまとめていただけました。
加藤杏奈さんの初キュレーションに掛ける意気込み

また、イベントの1つとして、2日目にはustをさせていただきました。
ustアーカイブ 

そして、3日目にはイベントとしてディスカッションイベントを行いました。
twitterまとめです。
【Disscussion 01】twitterまとめ 

それからたくさんの方にご感想を書いていただきました。
ブログ形式の方のものを掲載させていただきます。
cocomichi_kyotoさんhttp://bit.ly/fhD628
SKYRYさんhttp://amba.to/i02Gtk

企画展をした3日間は毎日たくさんの方に来ていただき、
キュレーションについての議論がtwitter上で盛り上がり、
まさしく嵐のように過ぎ去る日々でした。

明日から、それぞれ、1日目から3日目まで感じたこと(特にustとイベントについて)を書いていこうと思います。
また不定期になるかもしれませんが、宜しくお願いします。