20111013

vision

久しぶりの投稿です。言葉を紡ぐ気になれず、日々淡々と言葉にするまでもないことをぼつぼつと考えていました。

震災から早半年。それぞれの人にとって見えてきたものは何だったのでしょうか。
率直な感想を言うと私には
「未来への展望が早急に必要である」、
それ以上も以下のことも見えこなかったのではないかと思います。
これは政治や国家としてのレベルだけではなく、個々人のレベルでも同様です。


先日昨今の転機となった3つの出来事という興味深い議論をしました。
1つは911。
アメリカの支配体制における一種の限界の象徴。
2つめはリーマンショック。
金融資本主義体制の限界の象徴。
3つめは311。
近代社会における科学が自然を自由に操れるという人類の思い込みの限界の象徴。

こうして「限界」、言い換えると「どうにかしなければならない」という現実ばかりを見てきましたが、さて私たちはどうすればいいのでしょうか。
先日、森美術館の「メタボリズムと現代」展を見てきました。
それについての感想はさておき、最も印象に残っているのは最後の部屋に設けられた資料室の中で見た
「2030 東京未来のシナリオ」でした。
豪雨(最悪)のシナリオから小雨→雨天→青空のシナリオまで続きます。
豪雨のシナリオでは東京は廃墟化し、青空のシナリオではバーチャルリアリティーとグローバル化が進んだ最先端のテクノロジーによって構成される街となっていました。
しかしこれはこの不安定な時期に作られたという背景からなのか私の性なのか、最悪のシナリオも最高のシナリオも、どの結末で2030年に至ったとしても東京に住みたくないな、と思ってしまったのです。
なぜかというと、どれも「未来技術がいかに取りいれられているか否か」が重要でまた中心であり、それによって人の幸せが後からついてくるもののように見えたからです。
いかにその未来の技術を上手く取り入れたとしても、私たちは技術によって取り囲まれた存在であり、それはそれはとても空虚なことのように思えました。
それはまさに実質・実態の伴わない数字上だけで取引されているお金に取り囲まれている今の私たちの生活のようにも見えます。

ただ本当に一つだけ、忘れてはならないことはあると思います。
それはこの「終末観」は今だけ特別にあったという訳ではないということです。
今最も忘れられてしまっていることはこのことだとも思うのです。
言うまでもなくヨーロッパ中世のゴシック建築に見られる終末観からの救済を求めたあの精神性はよい例です。
先月は丸々ヨーロッパに滞在していましたが、イギリスのどこに行ってもゴシック建築ばかりでした。

写真はエジンバラです。

キャピタルを求める姿勢、また「人間はいつか生まれたら死にゆく」という言葉の通り終わりに向かうというのは自然の摂理で、それをどう捉えるかはその時代性が出る顕著な例だとしても、今この終末観を「仕方がない」と片づけてしまうことが一番残念なことではないでしょうか。

ついこの前ツイッターの名言botから「人は生まれる時代を選べません。生まれる国も親も身体も。すべて受け入れて生まれるしかない。時代が悪い、社会が国が悪いと言ってるだけでは何も変わらない。まず、すべてを受け入れること。その上で自分に何ができるかを考え、ひたすらそれをやること。そこからしか何も始まりません。(中森明夫)」というフレーズを見つけたのですが、それは本当にその通りです。

そこで前置きが長々となってしまいましたが、私なりに自分が最近思っていることを含め控えめながら提言を行ってみたいと思います。
小さい頃は働くとか、社会とかそれこそ何も知らず、今となってもそれはよく分かりません。


周りに会社勤めの人が少なかったことも影響していると思うのですが、
私にとってバイトをするだとか周りの人を見るとか、そういったことでしか実感として学びとる機会がありませんでした。
しかし、たしかに働いてる人を見ているとどん些細な仕事でも社会を動かしていることがよくわかります。
つい先日岸井成格氏のお話を聞く機会に恵まれました。
その中で実感したことは彼はいままで積み上げてきた彼の経験とから彼が自分が社会でどの位置にいて、何ができて何が専門かをしっかりわきまえたことを前提にお話し、行動しているということでした。
だからこそ彼の話には重みも説得力もありました。
きっと未来への展望は私たちの世代が作り上げていくより、彼のような経験を積み上げてきた人たちが作っていく方がよほどしっかりしたものができると思います。
その彼が私たちに期待しているのはなぜか。
「若い力」、「未来がある」、それで済ませてしまえば簡単ですが
「これから自分をどのポジションに置いて社会を動かしていこうとするのか」
その可能性に期待されているのではないのかというのが私の感じ取ったことでした。

いずれは社会に出て、社会を動かしていくのでしょうが、そのポジション、役割というのは何も決められたところである必要はないのです。
それも野暮に新しい会社を作る、という意味でなく。広い意味で。

昔とても印象に残っている言葉の中にhiromuさんと言う方の
「そのジジイの話によると、歴史っていうのは一人のリーダーや偉人が変えるんじゃなくて、同時期にたまたま現れる多様な才能の出会いと繋がりで初めて動くそうで、そういう人たちと自然に出会いに恵まれて、そういう人たちに自然と影響を与えられる人こそが「歴史を動かす人」らしいですよ。」
というものがあります。
まさに多様な才能が多様なポジションで動いている中でそれが繋がった時に本当に具体的なビジョンというものは生まれてくるのだろうと。
結局何が正解か分からないっていう前に正解なんてないと自分では思っています。だから型にはまったやり方、型にはまっていないやり方、どの道を選んだからといって責められる必要はないとも。アートはそれが顕著に現れてくるんのもだから好きなのですが。もし無理いじして正解を求めるとすれば、それは自分で折り合いつけながら決めていくことでしょう。またその正解という”判決”を下せる概念すら後世を生きる人が決めるのです。

だからこそ、色んな可能性があって、色んなポジションを作れる想像力があるのが私たちの「今」なのだと思います。
「未来への展望を。」という前にいくつかの段階があって、今私たちができることは「未来に必要そうな役割を見つけていくこと、またそれを作ること、それに向かっていくこと」なのではないのでしょうか。

それが私の一つの最近の実感でもあり、同時に提言でもあります。

知らぬ間にだらだらと長く書き続けてしまいました。また気が向いたら何か書こうと思います。何か感想があればツイッターにでもコメントにでも書いていただけると幸いです。いただいたコメントには目を通していますし、基本ここでいただいた感想についてはできるだけ文章でなく直接その返事はお話したいと思っています。


それではまた、いつか。


Anna Kato
October 13th