20151116

静かなパリへ JR"24 frames per second"


パリでの暴動以降、いきなり文章を書きたいと思い始め、それは次第になにか書かなければならないという強迫観念のような感情となった
それはおそらくフランス革命という未曾有の出来事に直面した市民がそれを理解するために歴史を語りだしたように、311直後に多くのラッパーたちが相次いでそれについての曲を発表したように  私の中でまだ何かが整理されず、自分の手が届かずかつ見えないところにパンチを食らったような、そんな衝撃をまともに受けてしまったからのようにも思う。

二年前の今頃は一ヶ月ほどパリにいて、7区にアパートを借りていた。
(実は、その後はトルコに行、数都市を巡った。今なら絶対選ばない旅程であるようにも思う
2年で世界の情勢は随分と変わった。)
生憎一人でパリのクリスマスを過ごすことになったのだが、せっかくクリスマスにいるのだから面白いものが見れるよ、とフランス人の知人に25日は朝早く外に出て観光することをすすめられ、その言いつけ通り、24日は早く寝て25日の8時時過ぎには簡単な格好で外に出た。
一見何の変哲もなかった、その日のことを今でもよく覚えている。
24日の夜はイルミネーションがいたるところにあり、街は祝祭ムードでレストランには綺麗に着飾った人々で賑わっていた。
しかし25日の朝、その喧噪は全てどこかにいってしまい、ただ静寂だけがそこにいた
その静寂は音がないというよりも、大きな静寂がそこに佇んでいるような、そんな光景であった。

「誰もいないパリ」、それを一体誰が想像できるというのか。
パリは言わずもがな世界有数の観光地である。しかしその日はカメラを持って写真を撮る観光客もおらず、忙しそうに地下鉄の駅へと向かうビジネスマンもおらず、観光客目当てのプラスチックでできた安っぽいキーホルダーを売っている人の姿もみあたらない。
そこにはただ静寂のみが存在し、圧倒的な存在感のエッフェル塔が誇らしげにそびえていた。
−−本当に誰もいなかったのだ。

ふしぎと、そこで一人エッフェル塔を見上げても寂しさやむなしさは感じなかった
その前日に見た、クリスマーケット砂糖がいっぱいついたチュロスを買う人々写真を何度も撮り自国の言葉で談笑する人々…それらの余韻をその場所は持っていて、パリという街が包容している多くの時間と記憶を全身で感じることができた。それは、わたしにとってメモリアルなパリでの思い出なのだ。



しかし、その「誰もいないパリ」を今度はテレビのモニターを通して見ることとなった。
それが、11月13日である。
無差別的に人を傷つけるテロが発生し戒厳令の出されたパリで人々の生活は一時停止を求められた。
もちろん、パリといっても広い。中には開いているお店も街に出る人々もいただろう。
ただカメラを通しパリから世界へと発信された「誰もいないパリ」の映像はあまりにも生々しく、そこで起こった憎悪と悲しみの感情の爆発を直感的に理解するには、その1カットだけで十分すぎるほどであった

私がクリスマスのパリの静寂の中感じたそこにいた人々の時間、それはきっと誰もが憧れるパリという場で友人や家族と共有された、思い出幾重にも折り重なった時間であった。
しかし11月14日、それらの時間は憎悪と暴力によって打ち砕かれてしまったのである。

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ちょうど、11月8日からワタリウム美術館でフランス人アーティスト(私はアクティビストと呼んでもいいと思う)JRの個展が始まった。
友人の好意に甘え、幸運にもプレミア上映会に行き、作品を観賞後JRのトークも聞くことができた。
今回展示されている3つの作品のうち、印象に残っているものは世界同時スクリーニングが行われている、難民の問題を抽象的に扱った「エリス」とニューヨークバレエ団などとコラボレーションして作られ2005 年パリ郊外暴動事件をテーマに制作された「レ・ボスケ」だ。


それを見た日は難民問題も社会におけるアイソレーションの問題も関心のあるトピックだったため、いくつか思い浮かんだ昨今のニュースなどと結びつけて鑑賞をした。
しかし、今、これらの作品が同時に流されているという状態は偶然であるにしろ、ある種の必然性があったようにも感じられてしまう。

パリのテロ犯の一人がギリシア経由で難民申請をし、フランスへと入国していたこと、もう一人がパリ郊外出身であり、フランスでは社会において疎外感を感じているムスリムが過激思想に影響を受けやすくなっているということ。
これらのことが自然と私の中でJRの二作品にリンクした。
もちろん、厳密にいうとテロ犯の出身地と暴動が起こった「レ・スケ」に登場する場所は異なるし、テロ犯と作品に登場する人物を重ねるのはためらわれる部分もある。
だが、抽象化して考えた場合、テロ犯と「レ・ポスケ」に登場した主人公は同じよう社会の中で疎外された境遇にいながら一方は暴動という事件を越えてJRと出会い自分の手で未来をつかみとり、テロ犯は第二次世界大戦以降最悪の暴力事件を起こし、多くの人から憎悪されるシンボルとなり死亡した。(自爆したという表現の方が正しいのかもしれない。)

JRはトークの中で主人公のダンサーについて、彼はヒップホップのバックグラウンドを持つ異色のバレエダンサーであること、現在は(おそらくJRの作品に参加したことによって)奨学金を得ることができ、バレエについての学びを続けられる環境にいるとのことを話していた。
厳密に彼の言葉を全て覚えているわけではないが、それに続いて、JRは他者の人生に関わることができる素晴らしさを語っていたことを覚えている。
なぜかその漠然としか覚えてない言葉が11月13日のテロのニュースを見てから何度も私の脳内でリフレクションされるのだ。

JRが主人公のダンサーの本質的な部分まで向き合い作品を制作したであろうことは、映像を見ても伝わってきた。
それだけ主人公が過去を回想して語った言葉や、作品に織り込まれていた彼自身が撮った過去の写真には切実さがあったからだ。
また、それに呼応する事実(歴史的事実としての、記録としての暴動)のモンタージュ、
ダンスで事後的に表現される当時の複雑に絡み合った感情にも引き込まれるものがあった。
しかし、それら全てを総合して私が「レ・ボスケ」に於いて見たものは、
主人公一人の人生や彼にとっての人生のキータームとしての暴動事件だけでなく、
一人の人間、および誰かの人生と向き合う人の眼差しだったようにも思われる。
それはJRが「レ・ボスケ」においても、ここでは触れなかった「リヴァージュ」という作品においても「目」、すなわち眼差しの写真を中心のモチーフとしていることも関連するのかもしれない。


そして、その姿勢は「エリス」にも受け継がれている。
エリスが扱うのは自由の女神の近くに位置する「エリス島」における物語である。
1892 年から 1954 年まで、アメリカへの移住を夢見た1200 万人もの移民にとって、そこはアメリカへの最初の入り口であり、入国が認められない者たちにとっては、アメリカの最後の場所であった
JRはその場所にあった記憶を綿密に調査し、移民申請者たちが滞在していた廃病院に作品をインストールした。
「エリス」においてはロバートデニーロがそこにいた全ての人を象徴化し表象するが、その作品において感じたこともやはり、JRがアーティストとして向き合った、もうそこにはいない、何千人もの人生であり、彼のその人々に対する真摯な眼差しであった。

(作品のディティールについてはあえて割愛しているので、ぜひ展覧会に足を運んでみてほしい。
 東京、ワタリウム美術館で11/29まで
vimeoでもこれらの映像作品を見ることができるが、ワタリウムで展示されているものには日本語字幕がついているため、より内容を深く理解することができると思う。)

再度、話をテロへと戻そう。
私がテロのニュースを、それこそ全週末を費やす勢いでCNNやBBCを見、何度も思い出したこは、私が実際に訪れた25日の誰もいないパリの光景と、JRの作品に通底する彼の他者への眼差しであった。
Facebookでは多くの人がプロフィール画像をフランス国旗へと変更し、なぜフランスで起きたテロは人々を悲しませるのにベイルートのテロは国際的に話題にならないのか、白人が死なないテロはなぜ注目を浴びないのか、などという議論が多様な言語において行われた。
テロ被害者へと寄り添う心は尊く、尊重されるべきものだとは思うが、「フランス人の被害者」、「イスラムの加害者」などというざっくりとした括りで考えることは、状況を把握することには役だったとしても何の解決策も生まないだろう。
SNSで拡散されやすいような、きれいにまとまる情報の中には答えはない。

人種の坩堝であるパリで起きたこの事件では、様々な人種・国籍・宗教の人が被害者となった。
それがカフェやレストラン、コンサートホールなどダーイッシュが標的とする「西洋の文化を象徴する」ソフトターゲットを狙った無差別テロである以上、その中にイスラム教徒も含まれている可能性はゼロではない
イスラム教とテロリスト、もっと厳密にいうとイスラム教スンニ派の人とスンニ過激派組織に共鳴し、実際に行動を起こしたテロリストは自明のことながらまったく別の思想を持っている。
 
既に起こってしまったことに対しては、後戻りがきかない。
おそらくローマ法王が今回のテロを「第三次世界大戦」とも呼んだように、これ以上の惨事が起こる可能性も十分に考えられる。
そしてテロ被害国の軍事的な報復はこれからよりエスカレートし、憎しみは憎しみを、報復は報復を呼ぶかもしれない。
そんな中で個人は何ができるのか。(残念ながらそれはほとんどないようにも思われるが)
それはJR作品に示されていたような他者「眼差」ことのようにも思われる。
具体的でない漠然としたグループ、例えば「イスラム教の人」や「外国人」など私達は眼差しを向けることはできない。

震災後、ビートたけし氏の以下のような発言が話題となった。
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

パリでのテロもこれとまったく同じなのである。それは、130人にも及ぶ人が無差別テロによって殺された事件ではない。
ランダムに選ばれた1人が殺された無差別テロが130件あったということだ。
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現在、エッフェル塔は消灯されており、ルーブル美術館などパリの主要施設も開いてはいない。
静かなパリが暴力によってもたらされたことに、今も大きな悲しみを感じる。
まだブラックアイドピースのWhere Is The Loveをかける時期でもないだろう。

悲しみは続く。そしてこの事実に、個人としてできることは微々たるものである。
それでも、痛ましい現実から目をそむけることは、もうしないでおこうと思う。