20130319

垂直、平行、または円 物語の拡がり③


A Bigger Splash: Painting after Performance(Tate Modern,11/14-4/1)

前々回から、展評を交えながら主題の設定、物語の作り方について考察を行ってきました。
三部作の最終章です。
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平行型の物語と垂直型の物語、それぞれに面白さや深みがある両者ですが、
線を描いみてもわかるように、両者は平行または垂直の地平を持って拡張し続けます。
しかし、ネガティブな見方をすると、その物語は縦横に広がっていくだけで、
次のステップへの目覚めは鑑賞者に委ねるしかありません。
それではどうすればいいのか。
答えは円型の物語です。

円型の物語とは、その名の通り、一つのトピックについて
完結した物語を作るということです。
例えば、99年から2000年に以降する時、世界各国でパニックが起こりました。
細かく見ると様々なバリエーションがあり、それぞれ違った問題が起こったはずですが、
それを「00年パニック」と包括してしまえば、円型の物語が完成します。

円型が垂直型や平行型と異なるところは、まず物語のラベルに着目させるということかもしれません。

美術史では、モダニズム期の歴史は直線的に語るべきではない、と言われることがあります。
様々なグループ(ダダ、未来派など)が乱立した時期は互いにそれらが影響し合ったのだから、と。

(写真はTate Modernの壁です)

寄り道はこれくらいにして、Tate Modernで行われた展示を見ながら、
そういったことについて考えていければと思います。

A Bigger Splashはイギリスを代表する作家、デビットホックニーの作品のタイトル/言葉から来ています。

副題はPainting after Performanceで、イントロダクションでは、1950年以降の
「パフォーマンスとペインティングの関連性」を探求し、
「パフォーマンスがいかに現代のペインティングの可能性を拡張したか」を探ると書かれています。
こんなタイトルをつけられるとまず思い浮かぶポロックが、
ホックニーの作品との対比と共に始まり、
次の部屋では今や世界の定番となった具体とイヴクライン。
ウイーンアクティビズム、ブラジルのオイティシカ、草間弥生などアジアのアーティスト、
1970年代から始まった「変身」系の作品と続きます。
以降はアーティスト個人に焦点を当て、
Edward Krasinski,Marc Camille Chaimowicz,

Joan Jonas,Guy de Ciuntet,Karen Kilmnik,

IRWIN,Jutta Koether, EiArakawa(実験工房)、Lucy McKenzie

が展示されています。

感想としては、最初の流れを追うパートはパフォーマンスが先行し、
ペインティングの定義が拡張、消滅していく様子が丁寧に追われていたのですが、
個人に焦点を当て始めると、最初の主題がブレてきているような気がしました。
スペースが膨大すぎる割に物語が簡単にまとまってしまったのかなという印象です。

しかし、そのメインの物語より、特筆すべきはキャプションの書き方でした。
一般的に作品名またはアーティスト名が先に書かれますが、
今回のこの展示では、先に国名が書かれていたのです。
作家の選択からも分かるように、作品は世界中から集められ、
それは、「パフォマンスとペインティングの関連性の追求」が
「世界共通のアートの主題である」という前提でキュレーションされていました。

キャプションの初めに国名をつける。
そういった小さなことでも、世界的な視野を持ってキュレーションされたことが示唆できる。
小さな工夫で主題の核心を見せる技術には感服しました。

そして、この包括的な視野。
これは円型の物語です。

円型の物語の構造に話を戻しましょう。
包括する、客観的な視点で完結した一つの物語を作るとどうなるか。
それは、その物語と共に、その物語が立っている地点を示すことができます。
その物語が出現するまではバラバラだった作品が、一つの作品群になり、
一つの作品だけを見たら分かりにくかった、その作品が担う時代性や役割を
束ねることによってクリアにするのです。

そうするとどうなるのか。
まず、その物語の理解を推進することができます。
これは垂直、平行の物語と同じです。
そして、その物語を仮にでも「完」をつけることによって、
次のステップを開きます。

これが、円型の物語の持つ大きな特性です。
今自分が記憶喪失になったとすると、
自分のアイデンティティが分からず、自分の名前から探すことになるでしょう。
人間の記憶は曖昧で、時に自分の過去に疑問を持つことがありますが、
展覧会の場合は違う。
展覧会が終わっても、カタログとなり、一つの過去の仮説は保存されます。
他人が作ったものであっても、それを仮に自分が吸収したものとして
その次を探すことができる。

そして、円型の物語はキュレーションが最も作り易い物語でもあります。
ただ文脈を作るということではなく、完結した一を作る。

しかし、円型の物語は作ればそこで解決するものでしょうか。
それも納得のいく回答ではありません。
私は、円型の物語は他の円と共鳴してこそ価値が出てくるものだと思います。
美術史を直線に語るのはいかがなものか、という問題提起にも繋がるように、
円型の物語は時に接近し、時に離れることでより完結した円に近付いていくような気がします。
イメージとしてそれは、シャボン玉に似ています。


ドクメンタは、小さな垂直の物語を集め、一つの円型の物語を作りました。
ドクメンタが開催している間、各国のギャラリーでは出展作家の展示が多く行われ、
カタログや手軽なアーティストを紹介するリーフレットは様々な国で販売されています。

ドクメンタという大きな円はその後5年間のアートの指針を示すと言われています。
しかし、考えてみれば、「その後5年間のアートの指針を示す」との了解が、
ドクメンタを影響力のあるものに仕立てている気がします。
ほとんどの展示は、鑑賞者に影響を与えても
他の円に影響を与えることはないのですから。


以上、物語の構造について思ったことを三回に分けて書いてみました。
あくまでベーシックな意見ですが、こののちも展示の感想と合わせて
考察を深めていければと思います。

それでは、また近日中に。

1 件のコメント:

  1. 、提示されている情報をありがとうございました常に成功挨拶

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