20110115

キュレーターってなんなんだろう

I never think of the future. It comes soon enough.
私は将来のことは考えない。それはすぐやって来るから/アインシュタイン

英語、勉強しないとなあー。
語学留学行った時の写真。友達を女装させてショーに出させましたw

ところで!関西美大フリーペーパー、SHAKE ARTの代表さんのツイッターでこのブログを紹介していただき、一気に観覧者数が増えました。
皆さんありがとうございます。
でも同時にとってもプレッシャーですw
頑張ります。

昔は新聞記者とか物を書く仕事に憧れていました。
アートのおもしろさを知ってからはアートに関わりたいということでキュレーターを目指しはじめましたが、
今でも「何かを書く」という行為はとても好きです。


せっかく大勢の方に見ていただいているので、今回はよく聞かれる「キュレーター」の話をしたいと思います。
そもそもキュレーターとは、わかりやすく言うと学芸員さんのことです。
日本では学芸員をキュレーターと呼ぶことも多々あります。
しかし、学芸員は作品の保存・修復・研究・展示の設営・教育活動を行うのに対し、
キュレーターは主に展示会を中心に活動します。

少し話しはズレますが、キュレーターって調べたらこんな記事によく出くわしませんか?
あなたが情報のキュレーターにならなくてはいけない理由 
しばらく前までは「キュレーター」と検索すると、この記事が一番最初に出てきたのです。
ざっくり要約すると、「情報の溢れた社会で自分にとって有益な情報を取捨選択する必要性」について、
またそうすることによって「自分だけの価値を見いだすことができる」 という記事です。

アートのキュレーターもそれと似ていると思います。
キュレーターが作品を「キュレーション」というテーマや伝えたいことに沿った「フィルターを通す」活動によって作品を取捨選択、一つにまとめあげる。
これが根本的な役割です。
一人より三人、力を合わす方がより大きな力が出るのと同じように作品も1つより3つの方がよりパワーを発揮する。
しかし、主張が強すぎる作品ばかりを集めたら、互いにその作品たちは力をうち消し合ったりするかもしれない。
だからキュレーターが「展覧会のルール」を作り上手くそこを調節する。
そんな感じです。


ただ、展示会によってはアートシーンに多大なる影響を及ぼしたり、「取捨選択」という行為により時にとても力のある存在になったり、美術的価値観を更新するような展示会を催したり、アートに定義できない価値があるように、それをまとめる展示会も色々な価値・意味合いが発生してくる。その為キュレーターたちの活動や影響は様々です。

有名な展覧会というと1969年ハラルドゼーマンの「態度が形になるとき」。
伝説の展示会です。
展示会自体を作品化した第一人者と言われています。
彼の仕事によってキュレーターが注目されるようになった、と言っても過言ではありません。

また最近の試みとしては、アーティストの魚住剛さんがキュレーター四方幸子さんと共に展示会を作り上げています。
魚住 剛さんHP 
アーティストが作品を作り作品の説明をし、キュレーターが言説をつける。
お互いに強みを生かし合い、世界に通用する戦略を考え、新しい価値観を創造する。
勿論アーティスト自身が自己キュレーションを行うことは一般的ですが、違う立場の人達が多面的にその展示会に関わることで、
より言説の重層性、また作品の理論的強化を図ることができる。


これからはこうやってアーティストとキュレーターが二人三脚していく時代なのではないか、とも思います。

しかし、アーティストキュレーターというものが存在する、またキュレーションを始めると誰でもキュレーターになれる。
じゃあ、プロのキュレーターってなんなんだろう?
という疑問は実際私も拭いきれません。
誰でもできないことをする、そう言ってしまえば簡単なのですが、
日々美術史が更新されていく、作品には色々な見方があるように
キュレーターもどんどんその立場や役割を変えていかないといけない。
各キュレーターにはキュレーター的スタンスが求められています。

だから、一概にキュレーターとはこれだ!とは人くくりにしにくいのです。

しかし、とりあえず現状はこんな感じです。
少しでもキュレーターという仕事が広まってくれれば幸いです。

それではこのへんで。


PS 私事ですが、2月に0000ギャラリーさんでキュレーション展第一回を行わせていただきます。
 おたのしみに!(´ω`)

1 件のコメント:

  1. キュレーター志望、素晴らしい決断と思います。私見ですが、キュレーターのひとつの成功例を話します。具体美術でも活躍された上前智祐さん(年長の旧友です)は、画布に針と糸で縫い纏りを続ける事で秀作を展開してきた作家ですが、作品は売れず貧困でした。イタリアの若い女性キュレーターが、具体美術の調査に日本を訪れて、上前さんと出会いました。ニードルアートとも言える彼の作品に惚れ込んだ彼女は、彼の作品をリトグラフに起こす事を考案し、販路にまで関わりプロデュースする事になる。キュレーターの範疇を超えているかも知れないが、彼女との出会いが無ければ、上前の今日は無かったと思う。
    その他、アーティストとキュレーターと場の三者によって、アーティストもキュレーターも共に生きる。経営能力は無いが質の高い作品を提供出来る作家も沢山いるのは事実。適時な企画で作家を選択し場を演出出来るとしたら、ひとつの場に縛られた画商とは異なる展開が可能となり、陽の目を見る作家も出現すると思う。
    取り留めの無い思いを綴りました。

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