20110123

旅をして、何を想うか。スリランカ(1)


こんばんは。
人をキュレーションしたりする作業ってとっても責任感が必要な作業ですね。
改めて実感する毎日です。
そしてその上、気づいたことなんですけど人って「本当に申し訳ない」って思うとき程、謝りにくかったりする。
平謝りなんて簡単なんです。
それをとても実感しました。

そういえば、休憩がてらにこの冬行ったスリランカのアートレポートをしたいと思います。
発展途上国の文化事情、少し気になっていたので。
いい機会なのでまとめます。

まず、スリランカは仏教国。
8割以上が仏教徒。お坊さんの位はとっても高い。
階級制度の色濃い世界やなあって思ったのが第一印象。
まず簡単におさらいすると、スリランカはイギリスの元植民地。
植民地から解放されてからはインドからやってきたタミール人との内戦が勃発。
数年前まで内戦がありましたが、現大統領が沈静化に成功。
首都はコロンボ。

文化事情は寺院を中心とした文化。
アートはほとんど根付いていない印象。
国立美術館は一つ。
ギャラリーは植民地時代にイギリス人が作ったと思われるものがポツポツと。
けれど、まず最初に驚いたのがこの光景。

美術館の前でアーティストが絵をかけて売っていて、意外と地元住民が見ていったり、買ったりしている。
日本でも路上で絵を売ってる人いるけど、ほとんどポストカードとかでここまでじゃないですよね。
レベルはまあまあで、結構有名作のコピーが多かったんですが、なんというかやる気に圧倒されました。
でもこういう文化があるなら、これからアートは活性化するんじゃないかなあとか思います。
需要があってこそ、ですからね。

次にこれは美術館の光景。
ミレーの「落ち葉拾い」は人気なのか、路上で絵を売ってる中にも、壁に絵を描くときでも、たくさん見かけました。
この「落ち葉拾い」の光景が働く人々にとって共感できるからなのでしょうか。

   









また、全体的な印象としてキュビズム的表現が人気、また多かったです。
キュビズム最盛期に植民地にイギリスから絵画が入ってきたからかなあ、と推測していましたが、寺院に行ってなんとなくその謎が解けたような気がします。

これはいわゆる伝統的なスリランカの絵画なのですが、とっても平面的。
古代エジプトもそうでしたが、絵画はこうやって発展していくのかなあ、と考えたり。
そう思えば平面的なキュビズムっていうのはスリランカの人達にとって馴染みやすいものだったんじゃないか、という最終的な結論にたどり着きました。 

これは小学校の壁画。やっぱりキュビズム。
この祈る人々を見たらピカソの絵のコピーというよりは、仏教的な祈りの風景と内戦の終焉を祈っているのかなとか
色々考えさせられました。
これは知り合いのスリランカ人の子供、6歳の男の子が描いた絵です。
面白いですよね。こうやって仏像や僧に囲まれた生活をしていると、子供の描く絵もこうなる。
日本ではやっぱりマンガが人気な分、マンガを描く子供がとても多いように、スリランカではこういう仏教的モチーフを描く子が多いんです。
ちょっとそう考えたらいかに社会が子供の思考に影響を与えるかが分かって、面白かったです。

まだまだ色々書きたいことばでてきたので、明日に続かそうと思います。
なんか面白くない記事wごめんなさい。

それでは。






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