20110129

アートは必要ですか



”いい作品って何ときかれると、強い作品 と答えます。
強い作品って何ってきかれるとほそくてももろくてもちいさくても強靭な存在感のある作品と答えます。
その存在感って何ってきかれると、世界が 「その作品があることを必然として押し出している存在」とこたえます。
じゃその世界ってなにと。”

キュレーターの長谷川さんのツイッターでの発言。


考えさせられますね。
その「世界」って何なんでしょう。
私達が生きる「世界」なのか、アートワールドという意味の「世界」 なのか、それとももっと他の意味の「世界」、もっと包括的な意味での「生」としての「世界」なのか。
どちらにしろ、ここで途切れさせた長谷川さんのこの言葉の意図を考えることもなかなかスリリングで面白いです。
彼女の提示した「世界観」の一欠片を知ること。
また違う地平が広がりそうですね。


「生きてる実感がない。だからアートをする」
と語ったのは村上隆。


写真はお気に入りの写真家、小浪次郎さんの。
生きてるってイメージ、私は勝手にこんな感じです。
強烈な[生]をたまに途上国やスポーツマンに感じますが
普通に生きて、普通に学校行って、普通に生活してたら
恵まれてる日本においてあまり「生きてる」ことを実感することってないです。 
中学生の時とかよく聴いたBUMP OF CHICKENにsupernovaって曲があるのですがその冒頭は
熱が出たりすると 気付くんだ 僕には体があるって事
鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事

で始まるんですけど、結局そういうことだなーなんて思ったり。
宗教の影響力が強いところだと「神様(仏様)今日の生、今日の生きれてる一日を有り難う」って感謝する習慣がありますよね。でも、今日宗教の影響がどんどん薄れてきてる。
それにしばらく前に自傷行為とかの社会現象について考えてた時期があったのですが、
自傷行為に走る理由の一つに「血を見ることによって生きてることを実感し、安心する」っていうのがあって。

なんか繋がったなあ、なんて思ったりもしました。


アートはアートのない世界では「なくてもいいもの」だと私は思っています。
でもアダムとイブみたいにそのリンゴ(=アート)の味を知ってしまったら、もう後戻りはできない。
なぜならそれが生きてることの実感や裏づけにも繋がる。
アートによって自己が更新される。
表現しないと生きていけなくなる。

そういうものなんだと。



これはリアル中学生の時の写真(笑)なのですが、
この時はアートなんか何とも思っていなかった。
でも今と比べてひたすら時間がありました。
時間があって、友達のケータイが羨ましくて
毎日公園で写真撮って、
当時中学が荒れてたこともあったのですが、
毎日怪我したり、走り回ったり、
ガラスを割ってる子とかトイレ壊してる子とかいて
そういう衝撃が毎日あって。
そう、そういう人にはきっとアートはいらないんですよね。
毎日の生活でアートから得る足りないところを補ってるから。
でもアートをこのころ知ってたら、もっと楽しかったかもしれないななんて思います。
発想が豊かになるから。


まあそれはおいといて、今私達がアートを求める理由、
無意識に(名品展とかで作品を拝みに行くのは除く)アート好きがアートを求めるのは
そういう理由なんじゃないかと思います。


心斎橋にコムデギャルソンのアートスペース、SIXがあるのですが、そこの管理人さんとお話しした時、
「同窓会行って、同級生でもアートに関わってる人たちはハツラツとしてた」って仰ってて、
まあそういうことだろうなと。

例えばバナナが好きすぎて30,000 のバナナを盛り上げて展示しちゃったアーティストがいるのですが(写真参考)

元記事 こういうこと考えてて、実行できちゃったらそりゃいつまで経っても若くいられそうですよね。
twitterの村上さん(@takashipom)のツイートも生気みなぎってます。


アートが必要たる理由は、きっと、アートを知ってしまったからです。


そういう結論で今日は終わろうと思います。



そして0000ギャラリーでの企画展は2/4からですw

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